君という夢を描いて

第三話 『告白』



「好きです」

もし、彼女にそう言えたらどんなに楽だろう。


そんな勇気も度胸もあるはずなかった。


昨年春に地方から上京し、大学2年生になった時点で未だ恋愛経験ゼロの俺は、告白なんて大それたことをしたこともなければ、されたこともない。永遠に成立することはない関係性なんて、想像しても虚しいだけだ。そう思い込むことで本音を直隠しにしながらプライドだけを保ち続けた。

それでも、今回ばかりはどこか期待してしまう。
俺を選んでくれる保証なんてないに等しいのに、妄想とやらはそれすらも超越し、いとも簡単にその先の嬉しい展開を連想させてくる。しかもノンストップだ。

ヤバいと思いながらも、欲望を満たすように都合の良いシチュエーションを自動再生しながら、会計を済ませて俺は壁際のテーブル席に着いた。

「はあ……」

もしも奇跡が起こるなら、俺は彼女の前でどんなリアクションをするだろう。
いや、どんなリアクションをすればいいだろうか。リアクションの仕方までシミュレーションするなんて、ただの変態ではないか。
あれこれ考えていると、声をかけられた。

「あの、大丈夫ですか?」

「あ、はい……え? え」

声の主にハッとする。

  つややかな黒のロングヘアーが印象的な、可憐で清楚な女の子。
この子は確か、彼女の友人だ。
「あれ? 若葉じゃん。どうしたの?」
ワカバ、と桜ヶ丘さんに呼ばれた子は、「あ、梨歩」と返す。
(リホ……っていう名前なのか)
「ちょっと具合悪そうだったからつい、声かけちゃって」
俺、そんなふうに見えていたのか。
妄想していたなんてとても言えないが。

「え、そう? あたしはそんなふうに見えないけど。具合悪いんですか?」
いきなり話を振られて俺はテンパってしまう。
「え、あ、あの……まあ、そんな感じで……」
「アハハハ!」
笑われた。
「ちょっと梨歩!」
「絶対違うよ、若葉。だいたい具合悪い人がこんなにドーナツ食べに来るわけないじゃん」
俺のトレーにはもちもちドーナツのビターチョコと抹茶、オールドファッションのオリジナルにミートパイ、飲茶セットが並んでいる。しかもまだ全く手つかずだ。
「え、違うの?」
「それあたしに聞く? 本人に聞いてよ。ああ面白い、アハハハ……」
彼女は何に対して笑っているのだろう。俺のリアクションだとしたらちょっとショックだ。いや、かなり。
「あの、具合……悪いですか?」
さっきよりもおずおずとした様子で、ワカバと呼ばれた子は俺に訊く。
「まあ、さほど……でも、ない」
「アハハハ! 結局どっちよそれ!」
再び笑われた。
「え? やだ、何か……ごめんなさい、私……」
「若葉失礼すぎて面白すぎ! あとお兄さんのリアクションも最高にツボった!」
やっぱり俺のリアクションも含んでいたか。
「あ、いや。俺は別に……」
「ていうか、お兄さん。最近よく来てくれますね。学校が近くとか?」
何と、彼女から不意打ちのアクションが。
「まあ、そんな感じ――」
「アハハハ! さっきと全く同じ答えだし! やっぱ面白い!」
今のはそんなに笑うところだろうか。
「梨歩、店長さんが呼んでる」
「あ、ヤバ。喋り過ぎってまた怒られるわ」
「またって……」
「じゃあ仕事戻りますねー。また話しましょう」
「あ、はい」
桜ヶ丘さんはそそくさとレジの方に戻って行った。
「あの……」
ワカバさんが申し訳無さそうに「せっかくの休憩時間にごめんなさい」と再度謝ってきた。
「あ、いいんです。俺もう今日は予定ないので」
俺は思い切ってワカバさんに訊いてみる。
「あの……」
「はい?」
「桜ヶ丘さんって……」
「梨歩、ですか?」
「…………あ、えっと……」
ヤバい、緊張してきた。
「い、いつも元気がいいですね」
俺は何を言ってるんだ。訊きたいのはそういうことじゃないのに。
多分、ワカバさんもなんだコイツ?って思っているだろうな。
さり気なく彼氏の有無とか、そういうのを聞き出す方法ってないのだろうか?直接聞いたほうが確実なのはわかっているが……デリカシーないやつと思われたくなくてつい遠回りしすぎた結果がこのザマだ。やっぱり当たって砕ける覚悟が必要なのだろうか。
「梨歩は、中学を卒業してからずっとここでバイトしてるんです。自分の夢を叶えるために」
ワカバさんが思いもよらぬ情報をくれた。「せっかくなので、少しご一緒してもいいですか」と彼女がいうので、俺は二つ返事で了承した。向かいの席に腰掛けた彼女は、アイスティーを注文し話を続けた。
「改めまして、梨歩の友人の山口若葉です」
「あ、俺は柴田涼平です」
改めましての挨拶に、俺はド緊張してしまう。普段面と向かって女の子と話すことなんてないし、免疫も備わっていない。
「柴田さんは、大学生ですか?」
「あ、はい。すぐそこの、美大に」
「え、あの月ヶ丘美大ですか!?」
「はい、まあ。そこの2年です、一応……」
そんなに驚かれるとは。
「すごいですね。かなり狭き門でプロの卵の精鋭ぞろいって聞いたことあります。デザインか何かの勉強を?」
「いや、俺は絵画で。風景画をメインで描いてます」
「そうでしたか。私は来年の春から東堂大の造形学部でフラワーデザイナーの勉強をしたくて。高校も園芸科に通(かよ)っています」
「え、まだ高校生?」
俺は思わず口走ってしまう。
「はい」
「すみません。あまりに大人っぽいから、俺よりも若いとは思わなくて……あ、気を悪くしたらごめん、なさい。えっと……」
やってしまった。

「いえ、大丈夫です。よくそう言われるので。ちなみに梨歩とは小学生の頃からの付き合いです。もう7年くらいになりますね」
若葉さん、いや、若葉ちゃん? 馴れ馴れしいか? 山口さん、と呼ぶべきか。
「涼平さん、あ! 柴田さん。ごめんなさい、下のお名前で呼んでしまって……」
何と、彼女の方がやってくれた。
「あ、涼平でいいです。俺も、下の名前で呼んでいい、ですか?」
「はい。それは全然構いません。ちなみに涼平さんは私よりも年上の方なので、敬語じゃなくていいですよ。話しにくそうですし」
ものすごく気を遣われてしまった。でも、彼女の厚意を無駄にしてもかえって失礼になるだろう。
「じゃあ、お言葉に甘えます。あ、甘える、ね。ありがとう」
「いいえ。多分梨歩は近々涼平さんに敬語使わなくなると思うので」
「え?」
若葉ちゃんの含みのある言動が気になって俺は思わず訊き返した。
「あの、それはどういう意味で?」
「私の想像で申し訳ないんですけど、涼平さんって……梨歩のこと、気になってますよね?」

「あ……」
あっさり見抜かれていた。
「やっぱり、そうでしたか」
「えっと、まあ……そんな感じ」
そんなにわかりやすかっただろうか。はたまた、若葉ちゃんの勘が鋭いからなのか。いずれにしても、桜ヶ丘さんへの好意がバレた以上、詰んだも同然。気まずさMAX。俺の淡い恋心は、きっと淡いまま儚く散る運命だったのだろう。
「そういうことなら、協力してもいいですよ」
「え?」
協力? 今、協力って言った?
「梨歩、これまでも何人かの人からデートのお誘いがあったんですけど……気乗りしないし今は恋愛する気になれないって全部断ってて」
それは、余計に脈なしではないのか。
喉まで出かかった言葉を飲み込もうとした時だった。
「でも、今日の梨歩の様子を見て確信しました。涼平さんなら、もしかするといけるんじゃないかって」
「え……ど、ど、どのへんが?」
変に吃ってしまう俺。
「梨歩が男性の前であんなに笑ったの、初めてなんです」
「いや、俺は何もしてないけど……」
寧ろ彼女の笑いのツボが知りたい。
「笑わせようとして笑わせてくる人は、面白くないみたいです。彼氏にするなら、意図せず自分を笑わせてくれる人がいいと言っていたので。ナチュラルでやや草食系っていうんですかね? そんな人がいいそうです」
どこか素直に喜べない俺。桜ヶ丘さんの好みに条件が一つでも当てはまるなら、可能性はゼロではないのはわかる。だが、きっとこんな地味男を相手にするほど彼女は相手選びには困らないだろう。
「俺、マジで恋愛の経験値ないから……つまらんと思うよ」
「だから、今回その経験を積むチャンスじゃないですか」
若葉ちゃんがやたらと俺の背中を押してくる。
「これは、梨歩にとってもいい経験になるはずですから」
「でも……」
「じゃあ、私はこれで失礼しますね」
「あ、ちょっと――」
「あ、大丈夫です。自分のお代は自分で出しますから」
「いや、そうじゃなくて……」
「あ、そうだ。梨歩がもうすぐバイト終わるので、そのままそこで待っててくださいね。あとで涼平さんから梨歩に話があるって伝えときますので」
「え! それはちょっと……」
「今日はこの後もまだ時間あるんですよね? なら何も問題ないかと」
「う……」
何て記憶力なんだ。
「では、頑張ってください」
やや強引に推し進められてしまい、俺は呆然とする。
ヤバい、緊張してきた。

 逃げたい。

 でも、これはまたとない千載一遇のチャンスだ。

 無駄にするわけにはいかないが、どう対処すればいいのかも俺にはさっぱりわからない。

 どういう展開に持ち込めばいいのか。

 迷えば迷うほど焦りが滲み出る。

 桜ヶ丘さんを好きな気持ちは変わらない。それでも、この気持ちをどう形にすればいいのか、はたまたどうひた隠すか、さり気なく好意を伝えるべきか。

 正直迷っている時間はない。

 どうする、俺。

「あ、さっきのお兄さん」
「ひっ!」
 急に後ろから声をかけられ、俺はビビって裏返った声が出てしまう。
「あっはははは! 何その反応。めっちゃ面白いんだけど」
 桜ケ丘さんだ。案の定、豪快に笑われた。
「あ、あの……」
「うん。さっき若葉から聞いたの。お兄さん、あたしに話があるんでしょ?」
「う、うん。まあ……」
「そんな感じってか」
「はい」
「あは、当たった。で、話って何?」
「えっと……とりあえず、店の外出てもいい、かな?」
「了解。じゃあ外で待ってるね」
 彼女は颯爽と出入り口まで歩いて行った。俺は返却口にトレー一式を返し、彼女の後を追うように店をあとにする。
 すると、彼女がチャラそうな男に絡まれていた。
「おねえちゃん、今暇?」
「暇じゃない」
「暇そうじゃん。俺と遊びに行こうよ」
「人待ってるから無理」
「そんなやついいじゃん。遅刻するようなやつほっといてさあ」
「遅刻?」
「だって来てないじゃん」
「いや、もう来てるから。じゃあね」
 彼女が俺の方に向かって歩いてきた。
「ちょ、待てって」
「痛い!」
 男が彼女の腕を掴んだ。
「やめて、離してよ!」
「まだ話は終わってないだろ」
「もう、しつこい! あっち行って!」
 これは、やばい。
「あ、あの……」
「あ? 何だてめえ」
 う、やっぱり柄悪いな。
「彼女、嫌がってるじゃないですか」
「だったらなんだよ。部外者が口出すんじゃねえよ」
「いや、部外者も何も……俺がその、相手なんで」
「は? 嘘つくなし」
 真の部外者に嘘つき扱いされるとは。
「あの、部外者はあなたの方なんで」
 少々イラッとした俺は、彼女の腕を掴んだ男の手をギリッと抓ってやった。
「痛ってえ! 何しやがんだ!」
 パッと男の手が離れた隙に、俺は彼女の手を取り走り出す。
「待ちやがれ!」
 男が俺に飛びかかるように追ってきた。
 いきなり会って早々喧嘩売られるとは思っていなかったので、とりあえず俺は彼女を安全な場所に連れて行こうと駆け出す。
「な、何なの。あいつ」
「とりあえず、今は逃げよう」
 俺は近くにあった大学のキャンパスに駆け込んだ。
「こっちだ」
 俺は正門から警備のおじさんがいるゲート前で学生証をかざす。
 寸でのところでゲートが締まり、男はバーの前で立ち止まる。
「ち……!」

 諦めたように男はその場を立ち去った。
「ねえ、ここって……」
「ああ、俺の通ってる大学だけど」
「嘘! マジでここの美大生だったんだ、お兄さん」
「まあ、一応……」
「すごい! ねえ、どんな絵描くの?」
「風景画が多いかな」
「へえ、例えば?」
「河川敷から見える四季の移り変わりとか、そこにある桜の木とか、自然が感じられる景色が好きでよく描くよ」
「えー、見たい。ないの?」
「あ、あるけど」
「じゃあ見せて。大学の中にあるの?」
「まあ……」
 半ば強引に押し切られる形で、俺は彼女を連れて学内に入った。こんな姿目撃されたら、絶対森嶋に茶化されるな。
「何や、お前。昨日の今日でもう例の彼女連れとるやんけ」みたいな。
 控室の前を通り過ぎ、俺は課題作品が置いてある教室に向かう。
 エレベーターを使い、5階まで上がるとすぐ右手側に教授の研究室がある。向かいの通路を通り、一番奥から2番目が俺の作品置き場になっている。ゼミ仲間と共有しているので俺のだけではないが。
「これが俺の作品……」
「わあ! これ、写真じゃないの?」
「まあ、一応描いたやつだけど」
「すご! 写真かと思っちゃった。想像以上に上手くてやば!」
 興奮気味に彼女が言う。
「ねえ、このきれいなお姉さん描いてあるのは?」
「ああ、それは同じゼミ友の作品」
「さすが美大生って作品ね。しかも月ヶ丘美大って、精鋭中の精鋭揃いで有名じゃん。なかなか入れないって聞くよ」
「いや、それは大げさだよ。俺はいつもダメ出し食らってばかりだし。俺は運が良かっただけだから」
 現に松岡は特待生だし、森嶋はチャラそうに見えて数々の賞を総嘗めにしてきた真の実力者だ。ちなみにこのきれいなお姉さんの絵は森嶋の作品だ。本人曰く落書き程度らしい。
「いいなあ、好きなことに夢中になれるって。あたし中卒だから、学校って勉強ばっかりでつまらないイメージしかなかったのよね。まあ、歌い手になりたいから高校行かないって選択したのはあたしなんだけどさ」
「歌い手?」
「そう、あたし小さい頃からずっと歌手になるのが夢で。これでも音楽活動してるのよ」
「そうなんだ。ああ、それでマスドにいつもいるのか」
「うん、中学卒業してからずっとバイトしてるの。もう2年くらい経つかな」
「それだけやればもう立派な看板娘だね」
「やっぱそう思う? 実際看板娘だけど」

 やはり彼女は明るい。地味な俺とは対照的だ。でも、彼女に対して劣等感を抱くかと言われればそういうわけでもない。
 この感覚は一体何なのか。
「ねえ、お兄さんの夢は?」
「俺の、夢?」
 ストレートに聞かれて思わず言葉に詰まってしまった。俺は確かに絵を描くのが好きだし、それを活かした仕事に就きたいと考えてはいたが、具体的に何を目指しているかと言われると、正直まだ漠然としている。
「具体的に何をしたいかっていえばまだ決まっていないけど、絵を描き続けることはしたいと思っているよ。画家として成功する人なんてほんの一握りだし、専門性が高い分狭き門だからよほどの覚悟がないと……あ、それは君も同じか」

 漠然とした将来。こんな男についてくるような女の子なんて、きっといないだろう。
 俺は早くも悲観している。せめて彼女の夢を支えるくらいの経済力とかあればいいのだろうが、今の俺には何もない。二人きりのこの時空間が奇跡のようなものだ。

「いいじゃん、無理に決めなくて」
「え?」
「だってさ、もったいないよ。今から色々決めちゃうと、固定概念に縛られちゃいそう。迷ってるってことはさ、それだけ可能性があるってことじゃん。選択肢は多いに越したことはないよ。それが迷う原因でもあるんだけどさ」
 あはは、と彼女はいつものように笑う。

 ガチャッとドアが開く音。

「ヤバい、隠れて!」
 俺は声を潜めて彼女に言う。
「え?」
 俺はとっさに彼女を包み隠すよう、奥のバカでかいキャンバスの裏に逃げ込んだ。

「ん? 誰かおんのか?」
 森嶋だ。よりによってあいつが来るとは。
 バレるとますます厄介だ。

「ねえ、何で隠れるの?」
「ごめん、あいつにだけはこの状況を見られたくなくて」

森嶋のやつ、何しに来たんだ。
「お? 柴ヤン来たんか?」
「!?」
「鞄忘れとるやんけ、鈍くさ」
 余計なお世話だ。それは置き荷だ。
「まぁええわ。とりあえず、ワシのこのネエチャン完成させるか」
 キャンバスを脇に抱え、森嶋は出ていった。
「はあ、やっと行ったか」
「ぷはぁ」
「あ、ごめん。苦しかった?」
「ううん。何かよくわからないけど、ドキドキした」
「え?」
「お兄さん、結構大胆なんだなと思って」
「あ、え? あ……」
「あっはははは! 自覚なし、ウケる!」
 そういえば、とっさに彼女に覆いかぶさってしまったな。
「ご、ごめん。キモいことして」
「え、何でキモいの?」
「そ、そりゃあ……付き合ってもない男に、いきなりそんなことされたら、嫌じゃない?」
「別に? あたしお兄さん嫌じゃないから大丈夫」
「そ、それなら、まあ、いいけど。あ、いや、良くは、ないか……」
「何で?」
「えっと……」

 こうなったら、一か八か。

俺は腹をくくる決意をする。

もうどうとでもなるがいい、俺。

「あの、俺と――」

ぐううう〜~~

「あ……」

腹をくくった瞬間、盛大に腹が鳴った。

穴があったら、是非とも入りたい。

「あっはははは!」

終わった。絶対に終わった。

「やっぱ面白いわ、お兄さん」
「あ、えっと……」
もう帰りたすぎる。もっと一緒にいたいのに、居た堪れないという矛盾。

「いいよ。お兄さんとなら」
「え?」
何のことだ?
「えっと……?」
「だから、付き合おうってこと」
「は? え、え、えへ?」
「あっはははははははは! 」
俺、まだ何も言っていないのに。
何故だ? 何故こうなった?

「あの、何で俺?」
「だって、絶対楽しいじゃん。あたし、付き合うなら絶対に笑わせてくれる人がいいと思ってたからさ。お兄さんビンゴなの」
「いや、別に俺は笑わそうとしたわけじゃなくて……」
ああ、何か想像とかなりかけ離れていて思考が追いつかない。本当にこれでいいのだろうか。こんなにあっさり付き合うことになるものなのか。恋愛感全く無いような。これは、友達レベルでは?
俺はどうしても腑に落ちなくて、もう一度仕切り直す術を模索するが思いつかない。そうこうしているうちに彼女の方から、「その天然さが余計にツボるんだよ。ああ面白い」と言われた。喜んでもいいのだろうか。反応に困る。
「それに、さっき助けてくれた時。かっこよかった」
「え、あれはただ……」
俺はただ逃げただけなのに。しかも、小学生並みの反撃で、だ。
「ううん、どんな形でも、あたしを守ろうとしてくれたことが一番嬉しかった。それが一番の決め手かな」
「そ、それならよかった」
「ありがとう」
それが決め手ならば、あの男に少しばかりだが感謝だな。
「あ、そういえば。あたしまだちゃんと名前言ってなかった。あたし、桜ヶ丘梨歩。よろしくね、お兄さん……じゃなくて。あ、お兄さんの名前も知らんわ。知らんのに付き合おうとか。ウケる! で、名前は?」
「柴田、涼平。です」
彼女、とうとう自分に突っ込んでいたな。俺には彼女の笑いのツボがいまいち理解できないが、結果オーライということでいいのだろうか。何だか彼女のペースに流されている気がする。でも、それも悪くないなと思えるのは、やっぱり俺が彼女を好きだからなのだろう。
「じゃあ、涼ちゃんね。よろしく、涼ちゃん」
「あ、はい」
「あたしのことは梨歩って呼んでね」
「わかった。あ、わかりました、梨歩、ちゃん」
「あっははは! 何で敬語に直すの、あたしより年上じゃん。遠慮しすぎてウケる!」
「あ、じゃあ……わかった」
「ホントに? 次敬語使ったら連れ回しの刑ね」
「はい」
「あっはははははははは! 連れ回し決定! どんだけあたしと一緒にいたいのよ」
ぎこちなさ全開の俺に対して、こんなにも全力で笑い飛ばしてくれるとは。
「ねえ、早速なんだけど」
「え?」
「デートしよ!」
「い!?」
で、デートだと?
「あっはははは! 何それ、『い!?』って。やっぱ涼ちゃん面白いわ」
「えっと……どこに、行きたい?」
「そこのすぐ近くのホテル――」
「は!?」

ちょっと待て。心の準備体操が……。

「ちょ、何? その反応。あたし、そこのホテルの最上階にあるレストランでケーキ食べたいって言おうとしたんだけど」
「あ、ああ。そっちか」
「そっち、って。まさか、やらしい方想像した? やだもう、涼ちゃんたらぁ」
「ちちち、違……! 決してそんなつもりじゃ……」
すっかり彼女のペースだ。でも、何故だろう。不思議なくらい心地良い。
「ね、行こ!」
「あ……」
さり気なく手を繋ぐ形になり、思考が追いつかずに思わず足元がふらつく。俺は今、女の子と手を繋いでいる。そう思うだけで顔が沸かしたてのポットの湯のように沸騰しそうになるというのに。

俺達は作品置場を出てエレベーターを使い、もと来た道を行く。
(……慣れない、この感覚)

キャンパスの中を彼女と手を繋いで歩くなんて、少し前までの俺には想像できなかった展開だ。妄想ですらしなかった。故にこの手のシチュエーションにおける免疫は皆無。
やばい、手汗が……。
じわじわとにじみ出る感覚に気まずさを覚え、俺は思わず手を引っ込めてしまう。
「涼ちゃん?」
「あ、ごめん。その……」
「どうかした?」
「えっと……」
手汗が気になってつい。なんて言えるはずもなく言葉に詰まる。それに、いくら他の言葉を探してもそれ以外思いつかなかった。
「ああ、そうか。わかった! こうすればいいんだ」
不意に彼女が口走り、俺の左腕にぶら下がるように掴まった。
「え、え?」
いずれにしても、唐突すぎる彼女の行動に戸惑うばかりで、情けないことに俺は間抜けな声しか出なかった。
「あっはははは! こっちの方がカップルっぽくていいじゃん。それにあたし、憧れてたのよね。大学なんて来たことなかったから、キャンパスライフってやつ? いかにも青春してますって感じのさ。ああいうのやってみたかったの」
「そ、そうなんや」
「ん?」
彼女が足を止める。
「ねえ、涼ちゃんってさ」
「な、何?」
「地元どこ?」
「え、岐阜だけど」
唐突に聞かれて驚いた。何か思うところがあったのだろうか。
「岐阜かぁ。岐阜の人は初めて出会ったわ。名古屋の人ならあるけど。ねえ、岐阜って何があるの? あたし行ったことなくて」
「岐阜城とか、長良川鵜飼とかはよく聞くと思うけど。モレラレ岐阜っていうでかいショッピングモールとか、玉宮町ってとこにある飲み屋街とか柳ヶ瀬商店街とか。飛騨高山や白川郷も観光地としては有名かな」
「へえ、そうなんだ。白川郷は聞いたことある。世界遺産だっけ?」
「そうだよ。でも俺はそのあたりはあまりよく知らない。同じ岐阜でも全くノータッチだったり、別世界に感じる場所もあるくらいだから」
「じゃあさ、涼ちゃんのおすすめスポットはどこ?」
「俺の? いや、おすすめってほどでもないかもしれないけど、俺は……」
俺は基本出不精だ。が、たまに違った景色が見たくなって海のある街に出かけたり、高層ビルや洒落た店が建ち並ぶ都会の空気に触れたくなるなど、衝動的に出向くことはある。
「うーん、俺がよく行くのは……」

そうこうしているうちに、例のホテルに着いた。
展望レストランに直結したエレベーターに乗ると、ガラス張りの壁面からは俺の通う大学周辺の景色が一望できた。
「わあ! すごい、人がノミのようだわ」
「それ、某映画のラスボスが吐き捨てたセリフじゃ……?」
「あ、わかった? あたしあの映画好きでさあ。小さい頃から何回も観てたの」
「ああ、俺もよく観てたよ。姉貴と」
「お姉さんいるんだ、涼ちゃん」
「うん。5歳離れてるし、物心つく頃にはいつも姉貴の後ろくっついていたよ。今でもThe姉御って感じの人だから」
「頼りになるお姉さんなんだね。あたしは8歳離れた双子のお兄ちゃんがいるよ」
彼女の兄はそれぞれ小児科医と高校の体育教師をしているらしい。特に上のお兄さんについては、この首都圏でも超難関で有名な大学の医学部に通っていたようで。
「あたしがいうのも変なんだけど、二人とも結構イケメンでさ。めっちゃモテたの。特に上のお兄ちゃんはハイスペだったし、あ、でもね。下のお兄はちょっとひねくれてるから、高確率ですぐフラレる。全く同じ顔してるのにさ、性格が真逆なの」
ケータイに写った家族写真を見せてもらうと、確かに二人ともかなりの男前だった。俺には眩しすぎるくらい、というか、この世にはこんなにも完成した人間がいるのかと思うほどだ。地味な俺が隣にいても、背景にしかならないのは明白だった。
「仲良さそうだね」
「割とね。でも、下のお兄とはいつも喧嘩ばっかりだよ。昨日もあたしのおやつ勝手に食べてムカついたから、テレビのリモコンで脳天チョップかましちゃったわ」
「へ、へえ……」
「一応体育教師だし、ある程度鍛えてるからリモコンでどつかれたくらいで死にはしないから大丈夫よ」
兄妹喧嘩の程度は、思った以上に激しそうだ。
「あ、着いた」
最上階に到着すると、レストランの前に受付のスタッフがいた。
「あの、予約……してないんですが」
「はい、かしこまりました。お席確認しますので少々お待ち下さい」
受付のスタッフは一瞬店内に入り、すぐさま戻ってきた。
「お待たせいたしました。空いているお席がございましたのでどうぞ」
運良く席に空きがあったようだ。こういうのは事前に予約していくのがスマートなのだろうが、今回は思いつきというか、急遽だったので俺も完全に抜けてしまっていた。
「やったね、涼ちゃん。結構いい席だよ。あ、マスドがアリンコみたい」
席に着くやいなや、彼女はバイト先を指差す。
「だいぶ高いな」
「涼ちゃん高いとこ平気?」
「まあ、平気な方かな」
「良かった。あたしの友達の若葉はね、高所恐怖症で歩道橋ですら腰抜かしちゃうのよ。あれは大変だわ」
「若葉ちゃんって、あの長い黒髪の?」
「そうそう、あたしたちを繋いでくれたグラマーな子」
「ぐ、グラマー?」
「うん、脱ぐともっとすごいよ」
「そ、そうなんだ」
「あ、そうだ。涼ちゃん美大だったらさ、ヌードとか描くの?」
「え!? いや、それは……ない」
今のところは。

「えー、そうなんだ。てっきりそういうモデルさん呼んで描いたりとかしてるのかと」
「全然、そんなことはない。あったとしても、生身の人間じゃなくて彫刻とかだから」
「何だぁ、つまんない」
「え?」
「もし裸婦が描きたかったら若葉にお願いしたげようかなと思ったんだけど」
「いや、それ絶対あかんやつでしょ」
「そうかなあ。まあ、あたしはまな板だし幼児体型だから対象外だろうし。ていうかあたしも人前で脱ぐのは嫌だわ」
「それは誰だって嫌だよ」
まさか展望レストランに来て早々、ヌードがどうのこうのという話になるとは思いもしなかった。ここはヌードよりムードだろう。俺は話題を変えようと試みる。

「あのさ、ドリンク何にする?」
俺はメニューを広げる。
「あ、そうか。すっかり忘れてた」
やっぱりな。
「道理でお腹すいたと思ってたの。じゃああたしオレンジジュース」
「なら俺はアイスコーヒー」
「やば、マスドの時とパターンおんなじじゃん」
「ドリンクなんて、だいたいどこの店行ってもついいつもの流れで決まったやつ頼むもんじゃないの? 俺はずっとそうだけど」
「そう言われるとそうだね。あたしだいたいジュース系飲んでるわ。コーヒーも紅茶もイマイチ気分じゃなくてさ。若葉は紅茶ばっかりだし」
「まあ、人それぞれだな」
「だね」
「で、ケーキは?」
「あ、そうだ。忘れてたわ」
「そもそもケーキが食べたかったんだよね」
「そうそう。喋ってるとつい忘れるんだよね」
「気持ちはわからなくはないけど、ここで忘れるのは痛いね」
「あっはははは! 言えてるわ」

アフタヌーンティータイム? というやつだろうか。ヌン活とかいうちょっと小洒落た高級感のあるスイーツと、それに合わせたコーヒーか紅茶を啜りながら談笑するおばさんや若い女子たちがキャッキャいいながら写真を撮ったりしている。
「ヌン活プランってのがあるんだね」
「ホントだ。でもあたしは好きなやつだけ食べたいから、そういうのはいいや。あたし写真撮りに来てるわけじゃないし」
意外と冷めているな。てっきりあれもこれも、とか言い出すかと思ったのに。
「涼ちゃんはケーキ食べるの?」
「え、ああ。普段は食べんけど、ここの桃タルトが美味いって聞いたことあるからそれにしようかなと」
「そうなんだ。あたしはこの抹茶のモンブランがずっと食べたくてさあ。ねえ、よかったらシェアしない?」
「あ、ああ。シェア、いいよ。うん、そうしようか」
シェアってことは。
まさかな。
それは、流石にないな。

それにしても、一切れ1000円のケーキなんて。俺はいまだかつて食ったことがない。
せいぜい1ホール3000円の誕生日ケーキくらいだ。
「あ、来たよ」
テーブルに運ばれたケーキとドリンク。
「すごい、どっちも美味しそう」
「うん、普通に美味いのが食わなくてもわかる」
「いや、食わなきゃだめだよ。何なら涼ちゃんのも食べたげようか?」
「それは困る」
「あっはははは! じゃあ早速いただきまーす」
彼女は豪快な1口目をいった。
「あ、めっちゃ美味しい! ねえ、涼ちゃん。これは当たりだわ、最高」
「そ、それはよかった」
2口目、3口目と食べ進めていく彼女。
シェアの話は、聞かなかったことにするか。
俺もタルトを口にいれる。
「うま……」
思わず声が漏れた。マスドも衝撃だったが、このタルトは別格だ。さすが名物というだけある。
「え、いいな。ちょっとちょうだい」
「え、食うの?」
「うん、食べたい。さっきシェアしよって言ったじゃん」
忘れてなかった。
「でも、俺もう口つけちゃったし……」
「いいよ、そんなん気にしなくて」
「いや、でも……」
「はい、あーん」
「あ……」
思わず口を開けてしまった。
彼女の使用済みのフォークが、俺の口に入って――と考えれば考えるほど顔から火が出そうになるのを必死で抑える。
「ね、大丈夫でしょ」
「う、うん、まあ」
「今度はあたしにして」
「え!」
彼女が口を開けて俺のタルトを待っている。もうこの際気にしていても却って申し訳ないので、俺はそのままフォークにタルトを乗せて彼女の口まで運んだ。
「タルト美味しい! もう一口ちょうだい」
まさかの2口目ねだられた。仕方がないので2口目を投入。
「やっぱ美味しい! さすが名物」
「うん、美味いよね。食べなくてもわかるけど」
「いや、食べたらもっと美味しいって」
「確かに」

和やかなティータイムはあっという間に過ぎた。
気がつけば、もう夕方だ。

会計を済ませ、俺達は帰路につく。
「今日はありがとう。ケーキまでごちそうしてもらっちゃって」
「いや、こちらこそ。何か、色々面倒なことに巻き込んでごめん」

今日だけで色々と事が起こりすぎて、頭が大混乱しているのだが――結果的に俺は彼女と付き合うことになった。あまり実感はないが。
「ううん、楽しかった。またデートしようね」
「ああ、また連絡するよ」

彼女と別れ、俺はアパートに向かう。

日が傾き始め、薄暗い街並みを歩いていると、見覚えのある人物に出くわした。

「よお、柴ヤン」
「げ、森嶋……」
せっかく彼女とのデートの余韻に浸ろうと思っていたのに、何の罰ゲームだろうか。
よりによって森嶋とは。せめて若葉ちゃんなら良かったのに。せっかくの高揚感が台無しだ。
「何や、“げ”はないやろが。失礼なやっちゃなお前」
「何だよ」
「お前こそ何やねん」
「何が」
「今女の子とおったやろ」
見られた。クソが。

「だったら何だよ」
「お前なあ、昨日の今日でどないしたん?
ものすごい展開やんけ。例の絵の子か?」
やっぱりこうなった。これはこいつが納得するまで付き合うしかないな。
「わかったから。詳しくは家で話す」
「へへ。悪りぃね、兄チャン」

森嶋の襲来により、この日は夜通し質問攻めを食らう羽目になったのは言うまでもない。
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