君という夢を描いて

第五話 『やらかした』



 梨歩と付き合い始めて4カ月ほど経った頃。

 やってしまった。

 俺は今、病院のベッドの上だ。

 この年の夏、久々に実家のある岐阜に帰省し、地元の友人である成瀬と織原の3人で駅前の飲み屋街で飲んだ帰りにやらかした。

 互いの近況報告やら逸生の話題やらでいい感じに酔いが回り、盛り上がっていた最中解散となり、一人でフラフラしながら駅に向かう舗道を歩いていたら。

 盛大にコケて、直後暴走車に轢かれ……。

 足が死んだ。

 今、右足の感覚がほぼない。

 姉の律子が血相変えて病室に駆け込んできたのは覚えている。

「ちょっと涼平! あんた足が……」
「ああ、やっちまったわ」
「バカ! だから迎えに行くって言ったのに!」

どうやら大腿骨を複雑骨折したらしく、最悪麻痺が残ると言われた。回復には最低3ヶ月。もしくは半年。運が悪ければ完治は無理とまで。

 ああ。
 梨歩に会いたい。
 俺はこんな状況ですら、それしか考えられなかった。
 夏休みのほんの数日間帰省する予定だったはずなのに、まさかこんなことになるとは。

「酔っ払ってコケるあんたもあんたやけどさ、轢き逃げしやがった自称ホストのガキ。さっきとっ捕まえてポリスに突き出しといたから」
「は? 来たん?」

一応来たのか。俺を轢いたやつ。

「親と来たよ、泣きながら。親は話わかる人で良かったけど。本人は言い訳ばっかりでさ。思いっきり親父さんに殴られて更に泣いてたわ」
姉貴は容赦なく通報し、治療費の件についてもすでに相手側と話をつけたらしい。相手の親は、まだ息子は免許をとりたてで初心者だったにもかかわらず初心者マークもつけず親の車を勝手に乗り回す息子に辟易していたと話しており、日頃から手を焼いていたそうだ。

「最初は母親が『警察だけは勘弁してください』って言ってきたけど、親父さんが『甘やかすな』って一喝してくれて。お見舞いの菓子折り持って来た時に300万円も一緒に渡されて。さすがにそんな大金はその場で受け取れないし、どのみち請求するつもりだから保険会社か弁護士通してほしいって伝えといた」

 さすが姉貴。仕事が早い。

 ややシスコン気味だと自分でも思うが、本当に頼りになる姉で良かったと思う。俺は中学生の時に両親を立て続けに亡くし、しばらく親戚の伯父さん夫婦の家で姉貴と世話になっていた。姉貴が高校を卒業するタイミングで就職し、事情を話して会社の寮に住まわせてもらっていたが、俺が美大に行きたいことを知ってか知らずか、迷わず行けと背中を押してくれたのも姉貴だ。両親の遺してくれた遺産があるからそれくらいどうとでもなる、と。後に姉貴は転職し、役所勤務となるのだが、姉貴は俺の親代わりのような存在でもある。だからこそ苦労はかけたくなかったが、昔から面倒見の良さは人一倍で、遠慮なんてしようものなら怒りの鉄拳をかまされる。
「おい、涼平!!」

 病室のドアがドンドン、バンと勢いよく音を立てて開く。
「大丈夫か?」
 織原だ。成瀬もいる。二人共息を切らしながら俺の方に歩み寄る。
「お前ら、面会時間はもうーー」
「そんなこと言ってられるかっての!」
 成瀬が声を張り上げて言った。
「悪い、俺が誘ったばかりに……」
 織原が声を落とす。
「いやいや、織原。俺が飲みすぎてコケただけやし。そこに運悪く暴走車が突っ込んで来たってだけやから。俺の自業自得」
「でも……」
 織原、責任を感じているのか今にも泣き出しそうな表情を浮かべる。
「織原は全然悪くない。やで、全然気にせんでいいから。もうこの件については姉貴が相手に話つけてくれてさ。何とかなりそうやし、気にするなよ」

 轢き逃げ犯は早々に特定され、姉貴がその後の対応まで全部進めてくれた。
 結構遅くまで飲んで歩いていたら、頭のネジが緩んだような奴らがあちこちに点在する。俺もその一人にカウントされるほど、今日はつい調子に乗ってビールや焼酎を何杯か飲んでしまった。酒類はそんなに強くないというのに。
「成瀬、織原。俺、久々にお前らに会えて嬉しかったんやわ。だから、そんな気にせんといて」
「んなこと言ったってなあ。オレやったって、お前にずっと会いたかったわ。なあ、織原」
「ああ。涼平が帰って来るって聞いてさ、ついテンション上がって飲み会企画してまったのよ」

「そういえば、逸生は?」

 別にいなくても、いや、寧ろいない方がありがたいのだが。俺は一応聞いてみた。

「ああ、あいつにも声かけたんやけどな。例の彼女と海外旅行行くからって、断られたんやわ」
「マジか。あいつ最近彼女ばっかりやな」
 成瀬が突っ込む。
「正直、今まで義理で付き合い続けて来たけどさ。この前自分の大学の同期の子が帰省中に逸生にナンパされたって言ってて。逸生、彼女いるのにそんなことするんだって思ったらシンプルに引いたもんで……もう誘うのやめようと思っとる」
「織原の同期って……中学時代のタメで同じ大学に進んだっていうあの子じゃん?」
成瀬は怪訝そうに言った。「ああ、今は同じゼミ生なんだけどね」と織原。
「プライベートで彼氏と遊んでいた時に『わ、君可愛いじゃん。今からオレと遊ばん?』って言ってきたらしい」
「げ、それやばくね? あいつの節操のなさは今に始まったことやないけどさ。あいつ大学行き始めてからさらに調子乗ってきたっていうか……」

 逸生か。しばらく会わないうちにさらにヤバくなっているようだ。しかも、織原に付き合い考える発言させるとは……相当好き放題しているとみた。
「何かごめんな、涼平。こんなことになってまって」
「いやいや、織原が悪いんやないって。俺を轢いたやつが悪いんであって」
「オレも。あの時お前が嫌がっても一緒に帰ればよかった」
「いやいや、それも違うって」
 ただ、運が悪かった。それだけだ。

「あの、そろそろ消灯なので」
 巡回に来た看護師の女性に促され「あ、すみません」と織原たちは帰る準備をする。
「遅がけに悪かった。大事にしてな」
「ホントにごめん。また時間あるときに来るから」
 二人が退室した後、俺はスマホを手に取った。

(梨歩に、何て言おう……)
 言えば心配かけるかもしれない。梨歩は持病があるし、あまりショッキングなことは言いたくない。それが原因で、梨歩の病が悪化してしまうかもと思うと、安易に切り出せずにいた。
 ほんの数日間の帰省のはずが、こんなことになるとは思いもしなかった。

 そうこうしているうちに、梨歩からLINEが。

〈お疲れ〜! 帰省生活楽しんでる?〉

 ああ、楽しんでいたよ。だとワケありみたいに聞こえるか。何て返そうか。
 とりあえず、〈楽しんでるよ。地元の連れと飲んでた〉と返す。

 その直後、梨歩から電話が。
「うわッ」

 まずい。しかもビデオ通話だ。
 とりあえず出よう。
〈あ、涼ちゃん。元気〜?〉
 相変わらず元気のいい声だ。
「ああ、まあ元気かな」
〈何それ、ホントに元気なの?〉
「え、元気そうに見えない?」
〈うん、見えなーい〉
「マジか」
〈あっははははは〉
「からかった?」
〈正解ー! 正解者には何もなし!〉
「何だそれ」
〈あっははははは。そうだ、あたし来月ストリートライブやるの〉
「え、そうなんや」
〈芹山の花見公園前でね。涼ちゃんも良かったら見に来てね〉
「あ、ああ。行けたら……いいな」
〈もう! そこは行けたらじゃなくて、行くって言わなきゃダメでしょ〉
「あ、ああ。ごめん、つい」
〈しょうがないな。じゃあ特別に一曲歌ってあげるよ〉
「え、今から?」
〈うん。えーっと、何から歌おうかな〉
「何からって……一曲じゃないの?」
〈ああ、それね。うん、一曲は一曲なんだけど。一曲とは限らないこともあるかな〉
「へえ。その場のノリみたいな?」
〈そうそう、そんな感じ!〉
「ほぉ」
〈あっははは! 誰かさんの口癖移ったみたいだわ〉
「え? 俺?」
〈俺以外にいなくない? ウケる! あっはははは!〉
「いや、探せば他にもいると思うけど」
〈あっははは! 悪いけど、あたしそんな暇じゃないんだわ。涼ちゃんだけで十分〉
「ああ、そうですか」
〈そうだよ、じゃあ歌うね〉
「あ……」
 俺の反応を待たずして、梨歩は歌い始めた。

〈晴れ渡る〜 空に〜 爽やかに香る〜 甘酸っぱい恋の〜 香りに似ている〜〉

 透き通った可愛らしい声は、地声のままの梨歩そのもので違和感なく聴き入る事ができた。どこか懐かしいフレーズだ。

〈汗ばむ日も〜 君さえいれば〜 年中無休のデオドラント〜〉

 え、まさか。

 この歌は……。

〈あなたと私の〜思い出の河川敷〜〉

 もうオチが想像ついてしまった。

〈WA・KI・SHU〜〉

 やっぱりそう来たか。

「脇シューかよ」
〈大正解〜! 正解者には、何もなし!〉
「ここまで期待通りのオチになると、これはこれで面白いけど。内輪向けやね、この歌」
〈そうだよ。涼ちゃんのために作ったんだから〉
「まさか、ストリートで歌わないよね?」
〈さあ? 涼ちゃんが来たら考えるわ〉
「いや、俺めっちゃ恥ずいやん」
〈そう? じゃあ歌おうかな?〉
「話聞いてた?」
〈うん〉
「絶対楽しんでるな」
〈楽しい方がいいじゃん。盛り上がるし〉
「脇シューで盛り上がるとは思えないけど」
〈だから、そこはセンスだって。あたしのセンス舐めんなさんな〉
 離れていても、こんなにも身近に感じるのは梨歩のおかげであることは間違いない。
〈じゃあ、そろそろ切るね〉
「ああ、おやすみ」
〈ありがとう。じゃあまたね〉
 梨歩との通話を終え、俺は可動式ベッドを倒す。
「はあ……」

 梨歩との会話は楽しい。ずっと話していたい。

 飽き知らず、とでも言えば伝わるだろうか。

 梨歩との何気ない会話は、終わりのない旋律のようだ。次から次へと新しいメロディーとなって、溢れんばかりに流れてくる。
 いつでも新鮮だけど、どこか懐かしくて。

 例えばもし、前世の記憶があるとするのなら、前世は家族や友達だったのだろうか。

 それとも、恋人?

 不確かなことは信じない主義だが、梨歩と出会ってからはその可能性も信じてもいいと思えた。自分が誰かと恋をするという世界線が見えず、それほどまでに俺の人生は“恋愛”とはほど遠いもので他人事以外の何物でもなかった。

 恋をすると、世界が変わる。

 んなアホな、と聞き流していた過去の俺。

 恋とはもっと神聖で崇高な感情だと思っていたけど、俺が気づかなかっただけで、意外と日常の中にそのチャンスは点在していたのかもしれない。
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