君の遺影が、世界一美しく撮れるまで
第2話 私のカメラマン
約束通り、彼女は現れた。
しかしそれは、僕の想定していた「静かな再会」とは正反対の形で。
帰りのHRが終わり、担任が教室を去った直後だった。ぼちぼちと帰宅準備を始める人や部活の準備をする者たちの空気を切り裂くように、前方のドアが勢いよく開けられた。
「――結人くん、みーつけた!」
その場にいた全員の動きが、一瞬で凍りついた。教室の入り口に立っていたのは、秋月凛だった。
夕日に透ける髪と、誰にでも向けられる完璧な微笑み。他クラスの、しかも接点など微塵もないはずの「高嶺の花」の登場に、教室内は一秒遅れて沸騰した。
「え、秋月さん……? なんでここに?」
「浅霧に用事? まさか、聞き間違いだよな!?」
周囲の困惑と羨望が混ざった囁きと視線が刺さるように僕の背中に降り注ぐ。
僕は慌ててカバンにカメラを押し込み、顔を伏せた。目立ちたくない。関わりたくない。そんな僕のささやかな願いは、彼女の軽やかな足音によって無情に踏みつぶされた。
「行こう、結人くん。今日の景色もきっと綺麗だよ!」
彼女は迷うことなく僕の席まで歩いてくると、僕の腕を躊躇いなく掴んだ。細い指先。けれど、そこから伝わってくる体温は、驚くほど熱を帯びていた。
「ちょっと待て、秋月さん。みんな見てるだろ……!」
「いいじゃない、減るもんじゃないし。それとも、私のカメラマンさん、もう契約破棄?」
彼女は僕にだけ聞こえる小さな声で囁き、悪戯っぽくウィンクする。
『私のカメラマン』
その言葉の裏にある遺影を撮るという残酷な約束を思い出し、僕は言葉を失った。
彼女の笑顔は、周囲には恋する少女のそれに見えているのかもしれない。けれど、僕にはそれが、壊れやすいガラス細工を守るための必死なコーティングに見えて仕方がなかった。
「……わかった。行くから、引っ張るな」
観念して立ち上がると、クラスメイトたちの視線が信じられないと言わんばかりに僕を射抜いた。昨日まで風景の一部だった僕が、突然、物語の中心に引きずり出された瞬間だった。
彼女は満足そうに頷くと、僕の手を引いて廊下へと駆け出した。
階段を駆け下りる際、すれ違う生徒たちが一様に足を止め、僕たちの繋がれた手を見て、それから僕の顔を見て絶句する。その優越感よりも羞恥心が勝る感覚に、僕はただ俯くしかなかった。
たどり着いたのは、校門の脇にそびえ立つ、樹齢数十年、もしかすると数百年はあろうかという巨大な楠の下だった。
五月の若葉が西日に透けて、地面には木漏れ日が揺れている。あたりに人の気配はすでになかった。
「ふう、脱出成功! 驚かせてごめんね?」
「……心臓に悪い。もっと普通の呼び出し方はなかったのかよ」
「普通じゃ君は逃げるでしょ? 私、時間がないんだって言ったじゃない」
さらりと言ってのけた彼女の言葉に、僕はまた黙り込む。
彼女にとっての『時間がない』は、僕たちが使う比喩ではない。本当に砂時計の砂が残りわずかなのだ。
「さて、記念すべき第一回目の遺影撮影会はここでいい?」
「……ああ。今は新緑が綺麗だ。命が溢れてる感じがして、いい背景になる」
「ふふ、私の『死』の準備に『命』を合わせるなんて、浅霧くんって意外と意地悪だね」
反応に困った僕は無言を貫く。彼女も深く追求してくることはなく、そのまま楠の太い幹に背を預け、スカートを整えて座り込んだ。
僕はカバンから一眼レフを取り出し、レンズキャップを外す。ファインダーを覗くと、木漏れ日のスポットライトの中に、彼女が収まった。
「笑えばいいの? それとも、お葬式っぽくしんみりした方がいい?」
「……普通にしててくれ。意識すると、余計に撮りづらい」
「注文が多いなぁ」
彼女は膝を抱え、遠くを見つめた。
レンズのピントリングを回す。カチカチという小さな音と共に、彼女の肌の質感、まつ毛の一本一本、そして風に揺れる髪の細部が鮮明になっていく。
――あまりに綺麗すぎた。
これまで僕が撮ってきたどの風景よりも、その一角だけが世界の解像度を上げているような錯覚に陥る。
けれど、シャッターを切ろうとした指が固まった。
ファインダー越しに目が合った瞬間、彼女がふと、寂しげな色を瞳に宿したからだ。
それは、クラスで見せる完璧な笑顔でも、屋上で見せた悪戯っぽい表情でもない。一人きりで死と向き合っている時にしか出ないはずの、剥き出しの孤独だった。
「……あ」
僕は思わずシャッターを切った。乾いた音が、静かなこの空間に響く。
「今のはなし。ピンボケした」
「えー、見せてよ。今の結構いい感じだったでしょ?」
「ダメだ。消した」
嘘だった。
プレビュー画面に映っていたのは、木漏れ日の中で今にも消えてしまいそうな、けれど確かにそこに存在する、僕だけが知る彼女の真実の断片だった。
これを遺影にはしたくない。心からそう思ってしまった。
「……次は、もっと笑ってるやつを撮る。納得いくまで帰さないからな」
「あはは、厳しい! でも、望むところだよ」
西日がさらに赤みを増し、二人の影を長く地面に引きずる。彼女を死なせたくない僕と、最高に美しい死を望む彼女。
僕たちの、矛盾に満ちた放課後は、まだ始まったばかりだった。
しかしそれは、僕の想定していた「静かな再会」とは正反対の形で。
帰りのHRが終わり、担任が教室を去った直後だった。ぼちぼちと帰宅準備を始める人や部活の準備をする者たちの空気を切り裂くように、前方のドアが勢いよく開けられた。
「――結人くん、みーつけた!」
その場にいた全員の動きが、一瞬で凍りついた。教室の入り口に立っていたのは、秋月凛だった。
夕日に透ける髪と、誰にでも向けられる完璧な微笑み。他クラスの、しかも接点など微塵もないはずの「高嶺の花」の登場に、教室内は一秒遅れて沸騰した。
「え、秋月さん……? なんでここに?」
「浅霧に用事? まさか、聞き間違いだよな!?」
周囲の困惑と羨望が混ざった囁きと視線が刺さるように僕の背中に降り注ぐ。
僕は慌ててカバンにカメラを押し込み、顔を伏せた。目立ちたくない。関わりたくない。そんな僕のささやかな願いは、彼女の軽やかな足音によって無情に踏みつぶされた。
「行こう、結人くん。今日の景色もきっと綺麗だよ!」
彼女は迷うことなく僕の席まで歩いてくると、僕の腕を躊躇いなく掴んだ。細い指先。けれど、そこから伝わってくる体温は、驚くほど熱を帯びていた。
「ちょっと待て、秋月さん。みんな見てるだろ……!」
「いいじゃない、減るもんじゃないし。それとも、私のカメラマンさん、もう契約破棄?」
彼女は僕にだけ聞こえる小さな声で囁き、悪戯っぽくウィンクする。
『私のカメラマン』
その言葉の裏にある遺影を撮るという残酷な約束を思い出し、僕は言葉を失った。
彼女の笑顔は、周囲には恋する少女のそれに見えているのかもしれない。けれど、僕にはそれが、壊れやすいガラス細工を守るための必死なコーティングに見えて仕方がなかった。
「……わかった。行くから、引っ張るな」
観念して立ち上がると、クラスメイトたちの視線が信じられないと言わんばかりに僕を射抜いた。昨日まで風景の一部だった僕が、突然、物語の中心に引きずり出された瞬間だった。
彼女は満足そうに頷くと、僕の手を引いて廊下へと駆け出した。
階段を駆け下りる際、すれ違う生徒たちが一様に足を止め、僕たちの繋がれた手を見て、それから僕の顔を見て絶句する。その優越感よりも羞恥心が勝る感覚に、僕はただ俯くしかなかった。
たどり着いたのは、校門の脇にそびえ立つ、樹齢数十年、もしかすると数百年はあろうかという巨大な楠の下だった。
五月の若葉が西日に透けて、地面には木漏れ日が揺れている。あたりに人の気配はすでになかった。
「ふう、脱出成功! 驚かせてごめんね?」
「……心臓に悪い。もっと普通の呼び出し方はなかったのかよ」
「普通じゃ君は逃げるでしょ? 私、時間がないんだって言ったじゃない」
さらりと言ってのけた彼女の言葉に、僕はまた黙り込む。
彼女にとっての『時間がない』は、僕たちが使う比喩ではない。本当に砂時計の砂が残りわずかなのだ。
「さて、記念すべき第一回目の遺影撮影会はここでいい?」
「……ああ。今は新緑が綺麗だ。命が溢れてる感じがして、いい背景になる」
「ふふ、私の『死』の準備に『命』を合わせるなんて、浅霧くんって意外と意地悪だね」
反応に困った僕は無言を貫く。彼女も深く追求してくることはなく、そのまま楠の太い幹に背を預け、スカートを整えて座り込んだ。
僕はカバンから一眼レフを取り出し、レンズキャップを外す。ファインダーを覗くと、木漏れ日のスポットライトの中に、彼女が収まった。
「笑えばいいの? それとも、お葬式っぽくしんみりした方がいい?」
「……普通にしててくれ。意識すると、余計に撮りづらい」
「注文が多いなぁ」
彼女は膝を抱え、遠くを見つめた。
レンズのピントリングを回す。カチカチという小さな音と共に、彼女の肌の質感、まつ毛の一本一本、そして風に揺れる髪の細部が鮮明になっていく。
――あまりに綺麗すぎた。
これまで僕が撮ってきたどの風景よりも、その一角だけが世界の解像度を上げているような錯覚に陥る。
けれど、シャッターを切ろうとした指が固まった。
ファインダー越しに目が合った瞬間、彼女がふと、寂しげな色を瞳に宿したからだ。
それは、クラスで見せる完璧な笑顔でも、屋上で見せた悪戯っぽい表情でもない。一人きりで死と向き合っている時にしか出ないはずの、剥き出しの孤独だった。
「……あ」
僕は思わずシャッターを切った。乾いた音が、静かなこの空間に響く。
「今のはなし。ピンボケした」
「えー、見せてよ。今の結構いい感じだったでしょ?」
「ダメだ。消した」
嘘だった。
プレビュー画面に映っていたのは、木漏れ日の中で今にも消えてしまいそうな、けれど確かにそこに存在する、僕だけが知る彼女の真実の断片だった。
これを遺影にはしたくない。心からそう思ってしまった。
「……次は、もっと笑ってるやつを撮る。納得いくまで帰さないからな」
「あはは、厳しい! でも、望むところだよ」
西日がさらに赤みを増し、二人の影を長く地面に引きずる。彼女を死なせたくない僕と、最高に美しい死を望む彼女。
僕たちの、矛盾に満ちた放課後は、まだ始まったばかりだった。