【SR】メッセージ―今は遠き夏―

マンションの階段を上りながら、久しぶりに母の笑顔を思い出した。

トン、トン、と小気味よくアパートの階段を上る音は、母が帰宅した合図。

百夏は玄関まで迎えに出て、ドアが開くのを笑顔で待っていたものだ――。


この頃はもう、母のことは時々思い出す程度でしかなかったことに気付く。

日々の生活をこなすうち、目の前から消えてしまった人の記憶が徐々に風化してしまうのも、仕方のないことなのかもしれない。


けれど、それはとても寂しいことだ。

同時に、いつか自分は母のことを忘れてしまうのではないかと思うと、とても恐くなった。


あんなに大好きだった母なのに。

自分は、薄情な人間なのだろうか……。


せめて、父や兄弟等、思い出を共有する人がいればその速度も違うのかもしれない。

だが、今の立場である以上、自分で時々こうして思い出してゆくしかないのだ。


部屋に入るとすぐ、百夏は母の写真の前に座り、久しぶりにゆっくりと手を合わせた。

< 21 / 56 >

この作品をシェア

pagetop