夢のまた夢
第二部
三成が秀長のことを思い出していた頃、雨は止んでいた。その時、五奉行の浅野長政、増田長盛、前田玄以、長束正家が太閤を訪ねて来た。浅野長政は北政所の妹を妻としていたため、一門扱いであり、五奉行の筆頭とし政務にあたり、秀長亡き後は代わって豊臣家一門の実力者として太閤を支えていた。浅野長政、石田三成、増田長盛は主に行政を担当していた。長束正家は財務を、前田玄以は宗教と朝廷政策を担当していた。五奉行は豊臣政権の政治の中枢であった。五奉行の四人が面会に訪れたのは太閤に裁決を求めるためであった。太閤が家康に政務を託すと遺言したと風聞が広まり、豊臣家に激震が走り、政治の中枢が五奉行から家康に移ると考え狼狽していた。そのために彼らは太閤の喪をしばらく伏して現状の政治中枢を維持すべきと一致して太閤に意見具申しにやって来たのであった。太閤は家康に後見人として伏見城で政務を取るようにと遺言していたが、家康に政務を託すとは言っていなかった。太閤の傍にずっと控えていた三成にはこの風聞が事実と違うとすぐに分かった。太閤殿下はそのような遺言はしていない 家康殿には伏見城にて秀頼様の後見人として政務を行うようにとの遺言でしたと三成が一同に話した。政治を託すとは政治を家康に委ねると言う意味であり、それは太閤の意思とは違っていた。五大老は秀頼の補佐をする顧問機関であり、その決定は合議によって行われる。だから家康一人に政治を委ねるというような遺言ではなかった。しかし、今後政治の中枢は五奉行から五大老に移ることは確実であるために、太閤の喪を伏して政務を行う事に三成も賛同した。一日でも長く五奉行が政治中枢として機能すれば、政局の主導権を握って今後を有利に動かせると考えたからであった。とにかく五奉行の一致した意見を殿下に取り次ぐと三成は約束して、彼らを帰らせた。未だ太閤は目を覚ますことがなかった。太閤がまだ存命中であるにもかかわらず、あのような風聞が流れていることに、三成は憤慨していた。おそらく家康が風聞を流して揺さぶりをかけて来ているのであろうと直感的に疑った。太閤の遺言を逆手に取れば、家康が政治の実権を掌握しかねないと三成は危機感を増大させていた。
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