睡眠小説
満員電車
入った途端に蒸し風呂のような空気。

二日酔いのサラリーマンの口臭、
若い女の吐き気がするほどの化粧の匂い、
空席を探して鼻息を荒げる中年の女性、
痰が絡んだ咳を手で覆う事なく撒き散らす中年の男性、
大股開きで優先席に座り、いびきをかいて眠る若者。

そんなものを避けるように、
俺は自分の前の席が空いた瞬間に座り込んだ。

右隣では鏡を片手に化粧に励むOL風の女、
左隣からはロックミュージックがイヤホンから音漏れして聴こえる。

目の前に立つ50歳くらいのスーツ姿の男は新聞を広げて読んでいる。
その新聞の下の方が俺の顔に当たりそうになってることも知らずに。

俺はこの景色が大嫌いだ。

そんな気持ちが溢れ出したのは、
前の男の新聞紙が顔に触れた瞬間だった。

小さな会社で長いこと働いてきた。
大学卒業の奴らに長いことこき使われてきた。
恋人も家族も、少し俺を可愛そうな物を見るような目で見てくる。

自分を大切だと思えないのは、運命と世の中のせいだと信じきた。

もう何もいらないんだ。

もう頑張ることもないさ。


気付けば目の前にあったはずの新聞紙がビリビリに切り裂かれていた。

隣のOLが持っていたはずの鏡が割れて床に散らばっていた。

左隣から聴こえてたロックミュージックは鳴り止み、
それを奏でていた小さな機会は俺の足元で粉々になっている。

空席を探して目を剥き出しにしていた中年の女性は、
怯えた眼差しでこっちを見ながら地べたに座り込んでいる。

優先席で眠っていた若者は着いたばかりの駅のホームに倒れ、
大の字で眠っている。

そして俺はといえば息の上がった数人の駅員に両腕を掴まれ、
電車から引きずり出されようとしている。


「水道橋〜、水道橋〜。」

俺の会社がある駅の到着を告げるアナウンスが聞こえる。

今まで目の前にあった光景は無い。

相変わらず隣からは音漏れがしてるし、
優先席には若者が眠っている。

空席を探してた女性は斜め前の席に座っているし、
鏡は隣のOLの顔を未だに写してる。

どっちが正しいか、どっちが良かったかはわからない。
ただ俺はいつもと同じ駅で慌しく電車を降りて、
いつもと同じように会社へと向かった。
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