愛情失調かなり重症
アルバイトにほとんどの時間を費やしながらも高校を無事3年で卒業して,学生でなくなった私は、そこから更にがむしゃらに働いた.
子供のころの貧しい生活は、二度と味わいたくない。という、トラウマ.
電気もガスも水道も止まって,真っ暗な家の中で食事も与えられないという、それこそ今の時代で体験した人がどれ程居るのかと思う貧困.
働きさえすれば、そんなことになりようが無い.
両親がまともに仕事をしているところを、そういえば子供のころから見たことが無かった。
むしろ、仕事もせずにたまに家にお金があったことが不思議だ.義務教育は受けさせてもらえただけに、余計に不思議に思うけれど、それはやはり父が何か社会のルールに背く何かに手をつけていたからだろうと大人になってなんとなく解る.

ところが、だ。
私の不運は続く.

独りなら十分な生活が出来るほどには収入を得られて、事実何不自由ない生活を手に入れたはずだった。
が、中学のころに目の前で私を捨てた父から人伝で連絡が来たのは,高校卒業後すぐだった。
住むところも無い.仕事もしてない.おまけに糖尿の症状がすすんで入院が必要だ.


――――正直,「知るか」で済ませて十分だった筈だと思う.
だけど


「じゃあ、うち来れば」


あぁ。今思うと,単純に私の選択ミスだった。何の情があったのか、今でもわからない。
何の世話をする義理があるというのか。
でも、哀れに見えたのは確かだった.
中学のころ,私を捨てた父は,いまはもう捨てるものすら無い,何も持たないただのホームレスになっていた。そして、何も持たずに自力で生きていく強さもプライドも無い.
そんな父が、哀れに見えたのだ.

そこから、男を取って私を捨てた母から生活費の催促の電話が週に一度ペースで猫なで声で掛かってくるようになるまでそう時間はかからなかった。
そして、そこでも私は「昔,家族だった」そのあるかなしかの情だけで、毎回断りきれない.
両親は共に,他人の力なくして生きていけない弱い生き物だった.
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