サラリーマン讃歌
十分な間を取った後、俺の目をじっと見据えながら、ヒロインの最後の抵抗とばかりに、恭子は苦しそうに声を震わせて、絶妙なタイミングでセリフを吐いた。

主人公である俺は、自分の心をさらけ出す事に捨てられた子犬の様に怯えているヒロインを安心させる様に、険しかった表情を柔和な表情へと一気に切り換えると、大袈裟に首を振った。

その瞬間、ラストシーンを演じている間、常にヒロインである恭子の顔しか見えていなかった俺だったが、表情共に急に視野が広がった。

それほどまでに、主人公という人物に俺自身が入り込んでいたのだ。

先程までは恭子の顔しか見えていなかったのだが、舞台上の全体が見えるようになった。

ふと、恭子の顔越しに、俺とは反対側にある舞台袖のカーテンが不自然に揺れている事に気付いた。

気になって、そちらにチラリと目を遣る。


!!!


不自然に揺れているカーテンの原因を見付けた瞬間、俺は目を見開いた。




空見子だった。




ここにいる筈がない、空見子が舞台袖に立っていた。

空見子はただただ俺を見詰めていた。

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