馬上の姫君
第二章 五郎信景の最期
 天正十年二月、甲斐に侵攻して快進撃を続ける織田軍の前に往年の武田の勢いはなかった。
 信玄、勝頼二代の間、打ち続く戦に軍費は枯渇し、勝頼治世の九年間、領民にたいする搾取は年毎に厳しくなって、ついに怨嗟の声は頂点に達した。伊奈住民の中には自分の家に火をかけて焼き払い、織田方に走り込む者も出る始末で、武田の士気は阻喪した。
 勝頼は、上野、信濃、甲州の兵二万余の軍勢を動員して信州諏訪に陣を張ったが、すでに滝沢城、松尾城、飯田城と陥落して、この頃になると諏訪本陣の兵力も七千騎ほどに減少していた。 

 絶体絶命の形勢不利の中、穴山梅雪(信君)が織田に寝返ったことが追い討ちをかけた。
 梅雪は信玄の甥で、妻は信玄の娘である。武田家臣団の筆頭の地位にあったが、勝頼との間に領国支配をめぐる確執があり、その間隙を狙って家康が調略したため、一年程前から織田に内通していた。梅雪の奥方は、勝頼の姉に当たった。その子勝千代を、勝頼が婿としなかったことを恨み、甲府から本拠の下山へ引き揚げたのである。梅雪の調略が成ったことを聞いた信長は、甲斐における梅雪の領地を安堵した。
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