馬上の姫君
エピローグ
 かつて、一志の御台屋敷で北畠具教の正室多気のお方(松姫)を捕らえ、戦後、坂内の城まで護送した秀吉の与力・滝孫八郎は、父一政が尾張中村城主小出讃岐守政忠の養子になり、一族の産土の地尾張中村の地名を取って中村と名乗ったので、滝姓を棄て中村彦左衛門一榮と称した。
 熟達した鉄砲部隊を率いて中国戦線で名を上げた中村一氏・一榮の兄弟は、堀秀政とともに秀吉の命を受けて、天正十三年の甲賀小佐治の佐治為祐を攻撃することになった。
 甲賀武士を率いて根来討伐に参戦した佐治為祐は、水攻めを行うため紀ノ川の堤防工事を命じられたが、工事が遅滞したため勝機を逸したとして秀吉に責任を問われ、甲賀の自城と領地を没収されたのである。この過酷な所領没収は、甲賀武士が徳川家康に靡くのを防ぐための措置であった。為祐は滅ぼされるを覚悟で一族郎党と佐治城に立て籠もり秀吉に抵抗する。
 甲賀の土豪三雲新左衛門成持・成長父子には盛んに徳川の触手が伸びている時世である。秀吉は一氏に水口六万石を与えると約束して、中村兄弟に佐治城を攻撃させた。
 佐治為祐は奮戦したが攻め立てられ、衆寡敵せず、たちまちのうちに佐治城は陥落の憂き目を見た。城主為祐は自害、奥方は夫と命運をともにするため城内の枡形池の汀に立ち、いよいよ入水の時、懐剣を胸にあてて叫んだ。
「私は死んでこの池の竜神になろう。干天で水を欲する者はここに来て雨乞いをするがよい。必ず雨を降らせるであろう」
 佐治を下した五月八日、一氏は約束どおり甲賀郡を与えられた。
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