底無し沼



すっかり暗くなった空を後にして、私は玄関の扉を開けた。
「ただいま」
誰も居ないかと思わせる静かな空間にむなしく響く声。


ああ、早くお父さん帰ってこないかな。
朝が来て学校へ逃げたいよ。


私は玄関から動くことが出来ずに、ただ立ち止まっていた。
リビングから聞こえる、母と弘人さんの秘密の行為を思わせる微かな声に水音、そしてリップ音。
この行為は父が帰って来るまで行われる。
部屋に行こうとしても、リビングの隣の階段を通らないと行けないし、私の部屋の隣でもきっと……お姉ちゃんと優人君も秘密の行為をしている。


そして、私も必然的に……
ガチャ
私の立っていた玄関の扉が開かれる。
「お、帰ってたんだ」
「うん」
「んじゃ、やろーぜ?」
「……うん」
後ろで扉が静かに閉まり、大きな体に抱き包まれる。
「雨月……愛してる」
耳元で囁かれる甘い言葉。それに応えるよう、私は貴方の回す腕に手を置く。


「……和人」


< 6 / 8 >

この作品をシェア

pagetop