姓は寿限、名は無一郎
第三章 他人の記憶
 刻限は四つ前、無一郎は日本橋の札差し不二鷹屋茄右衛門の店に向かっていた。口入れ屋、陸前屋の手代豆七と歩いていると、与力が北奉行所に向かって出仕するのに出会した。
 草履取り、槍持ち、鋏箱など供を四人連れていた。豆七は、へりくだって道を空け、路傍に控えた。だから無一郎は、一人で先を歩いた。と…与力が、目を丸くして無一郎を見つめ、そればかりか軽く会釈までしてみせたのである。
「旦那、お知り合いで?大楠様と」と、やり過ごしてから豆七は、与力の見せた態度が合点できずに、そう尋ねた。
「どうやら、向こうが私を知っていたのかも知れない」
「どういう?」
「人相書を挟んで、あちらと、こちらとか」
「ご冗談を」ケケケと、不気味に笑った。

 最初の仕事は、不二鷹屋の主人、茄右衛門の外出時の警護であった。と言っても、今日は外出しないとのことで、奥座敷に上げられ、そこで豆七から紹介され、豆七が退出してからは、茄右衛門との面接だった。

「寿限様」因業そうな顔を歪めて、にじり寄る顔は、気味が悪かった。
「頼りにしてますよ」と、前金として十両を袱紗を敷いた状態で、ツーっと突き出してきた。
「期限は、半年」子細ありげな顔で、半年と告げた。
「手前と、手前の身内の用心棒…と言うことで、お手当は一日一朱、それで宜しゅう御座いましょうか?」
「承知しました、宜敷、お願い致します」と、半年間が定まって、無一郎は重圧が少し軽くなったように思う。
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