キミは聞こえる
 不意に背筋をぞっとさせるねっとりとした声が泉の鼓膜を揺らした。

 ほんとうなら、振り向きたくなどなかった。
 それでも体が勝手に動いてしまったのは、本能が身の危険を察して直視せずにはいられなかったからだろう。見ないままシカトするにはあまりに危険度の高い声だった。

 油の足りないロボットのようにぎこちない動きで声のほうを見やると、予想通り、そこにいたのは隣のクラスの人気バスケ部員"設楽"だった。
 代谷家に来たときと同じ、壁についた腕に体重をかけて、目が合うと口角を上げてふっと微笑む。

 全身がぞわぞわっと粟を噴き出した。

「設楽、てめぇこの前は代谷によくも……―――!」

 突然、泉の視界に桐野が飛び出し設楽に向かって声を張り上げた。
 背後からかすかに見えた桐野の横顔は怒りの炎に燃えていた。つり上がった眉、その間に刻まれるシワのなんと剣呑なことか。

 まずい、と思った。
 止めなければ。

 泉は音が出るように強く机に手を叩きつけると、続けて大きな音を立てて椅子を引いた。立ち上がりざまに佳乃の手を掴む。

「二度と、私の前に現れないでって言ったでしょ。聞こえてなかったの。―――帰ろう、栗原さん」
「し、代谷さん? い、いったい、どうしたの」

 戸惑うように泉と設楽、桐野へ忙しなく視線を交互する佳乃。
 まるで状況が飲み込めていないだろうからいくらおろおろしたって彼女に非はないと頭ではわかっているのに、いまは言う通り大人しく走り出してくれないグズさが無性に腹立たしかった。
 泉は力を込めて佳乃の手を引いた。
 そして、

「帰ろう! ――――――帰るよ!!」
「うっ、うん!」

 半ば怒り叫んで佳乃の足を無理矢理に動かさせると、彼女の手を引いて、設楽の塞いでいないドアから猛スピードで教室を出た。
 勢いそのままに廊下、階段を駆け抜け、昇降口でも無言のまま靴を履き替えて学校の敷地を飛び出した。


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