君へ

10

「なおに触るなぁぁぁ」

ふっと体が軽くなった。

「お前、なおに何をっっ!」
ばきっと骨と骨がぶつかるいやな音がする。
反射的に耳を塞いで目をつぶり体を丸くする。
そして塞いだ耳が、微かに拾う声、音。
「相良正雄っお前だけは許さないっっ」そして繰り返される鈍い音。
な…に?
恐い。恐い。恐い。
「永久さまっ後は任せて」

永久………?

そして鈍い音がやみ、私の耳に当てた拳にふわりと暖かい体温。

「……なお」

優しい、声。
あの時と同じ穏やかな話し方。
でも以前より大分低くなって落ち着いた声。

「なお。遅くなってごめんね」


うそ。

まさか。
もう、会えないと思っていた。
きつく閉じていた目を、ゆっくり開ける。
恐々と真正面を見ると汚れるのも構わずに膝をついて目線を合わせてくれる、永久、くん。

「永久、くん…?」
掠れてかすかにしか出ない声で確認する。安心させるように私の両手をゆっくりさすりながら温めてくれる。
そしてあの大好きな明るい笑顔で頷いてくれた。
「あ、永久、く」

壊れた機械みたいに涙をとめどなく流して永久くんの名前しか喋れない。

あんなに、沢山勉強して、言葉を覚えて永久くんに会ったら素敵に挨拶して見違えたねって言ってもらいたかったのに。

私の心も体も壊れてしまったみたいで、永久くんに会えたそれだけを喜んで安心した。

「なお、ごめんな」私の外れたボタンをぎこちなく震える手で直しながら永久くんが言ってくれた時は、もう私は極度の緊張と安心で気を失ってしまった。



ごめん。

なんて言葉いらないんだよ。
私がどんなにどんなに叫んで叫んで叫び疲れて、もう声すらでなくなってしまった。
それでも誰も気付いてくれなかった。

それなのに永久くんは、たった一回。

名前を呼んだだけで来てくれた。

誰にも教えなかった本当の名前を教えてくれて。

心の中で何度も呟いて希望になって元気をくれた。

今までが、そしてこれからも全部悪夢で終わりそうで怖くて声に出せなかった。

あれから5年。
一度も出せなかった私の声を聞いてくれた。
それだけで、いいんだよ。

ありがとう。


< 10 / 48 >

この作品をシェア

pagetop