不機嫌な令嬢とイケメン家政夫には、ある秘密がありました。
プロローグ
――クリスマス イブ――
神戸、港の見えるホテル。
俺はそのホテルの一室で、女と朝を迎えた。
ベッドのサイドテーブルには、クリスマスの雰囲気を演出するサンタの飾りがついたクリスマス用の小さな赤いキャンドル。
部屋の中央に置かれたダブルベッドには、裸体の女が横たわっている。恋人たちが愛に戯れるクリスマスイブだが、俺の隣に寝ているのは恋人ではない。
昨夜、神戸のバーで出逢った鈴蘭《すずらん》と名乗る行きずりの女。
水商売の源氏名だろうか?
鈴蘭だなんて、それが本名だとしたらとても珍しい名だ。
そもそも見知らぬ男と一夜を共にする女が、本名や実年齢を名乗るはずはない。
美しいが男との情事はどこか未熟。濃いメイクで素顔を隠しているが、肌の張り艶から年齢は二十前後だと思われた。
三度の飯よりも女好きな俺には、この女の素性はどうでもいい。
俺はこの女と一夜を存分に楽しんだ。
それだけだよ。
◇
女は俺の前でメイクを落とすことはなかった。一夜のアバンチュールでメイクを落とされては、女の裸を明々と点いた照明の下で見るよりも、興醒めしてしまう。
恋人ならば飾らぬ素顔を見たいが、一夜を共にする女は偽りの仮面でいい。
掛け布団から覗く細い肩と美しい背中。
赤く塗られた爪。唇には赤い口紅。濃いブルーのアイシャドーに何枚も重ねた付け睫毛。
激しい夜を過ごしてもメイクは色落ちすることなく、素顔が想像つかないほど完璧だ。
夜の闇に一緒に沈むには、妖艶で都合のいい女。本名も、年齢も、素性も知らない、一夜限りの恋人。
俺は裸の女の枕元に赤いクリスマスカードを残し、部屋を出てエレベーターに乗り込む。クリスマスカードは市販のもので、ツリーのイラストと『MERRY Xmas』と印刷されているだけ、自筆のメッセージも俺の連絡先も添えていない。
エレベーターを降りると、エントランスには朝日が差し込み、俺は幻想の世界から現実の光の中に解き放たれる。
早朝の明るい陽射しは、夜の闇に蠢く俺達には似合わない。お遊びの時間は、朝日が昇ると同時に魔法が解けたように終わりを告げる。
ホテルの前でタクシーに乗り込み駅に向かう。始発の新幹線に飛び乗り、俺は東京に戻る。
東京の下町でボロアパートに住んでいる俺は、時々こうして神戸の街で女と一夜を過ごす。
自分がセレブな男にでもなったような錯覚を、あの街の夜景が与えてくれるから。
中学生の時に両親を亡くした俺は、親戚の家をたらい回しにされ学校を転々とした。
『施設に入れないだけマシだと思え』親戚はそう暴言を吐き、俺を野良犬のように扱った。
そこにはあたたかな温もりも、あたたかな寝床も、あたたかな食卓もなく、俺は少年期に絶望を味わった。
貧乏なんか、クソ喰らえ。
俺を見下した親戚たちを、いつか見返してやる。
そう思っていたのに、俺はその貧乏から未だに這い上がれないでいる。
神戸、港の見えるホテル。
俺はそのホテルの一室で、女と朝を迎えた。
ベッドのサイドテーブルには、クリスマスの雰囲気を演出するサンタの飾りがついたクリスマス用の小さな赤いキャンドル。
部屋の中央に置かれたダブルベッドには、裸体の女が横たわっている。恋人たちが愛に戯れるクリスマスイブだが、俺の隣に寝ているのは恋人ではない。
昨夜、神戸のバーで出逢った鈴蘭《すずらん》と名乗る行きずりの女。
水商売の源氏名だろうか?
鈴蘭だなんて、それが本名だとしたらとても珍しい名だ。
そもそも見知らぬ男と一夜を共にする女が、本名や実年齢を名乗るはずはない。
美しいが男との情事はどこか未熟。濃いメイクで素顔を隠しているが、肌の張り艶から年齢は二十前後だと思われた。
三度の飯よりも女好きな俺には、この女の素性はどうでもいい。
俺はこの女と一夜を存分に楽しんだ。
それだけだよ。
◇
女は俺の前でメイクを落とすことはなかった。一夜のアバンチュールでメイクを落とされては、女の裸を明々と点いた照明の下で見るよりも、興醒めしてしまう。
恋人ならば飾らぬ素顔を見たいが、一夜を共にする女は偽りの仮面でいい。
掛け布団から覗く細い肩と美しい背中。
赤く塗られた爪。唇には赤い口紅。濃いブルーのアイシャドーに何枚も重ねた付け睫毛。
激しい夜を過ごしてもメイクは色落ちすることなく、素顔が想像つかないほど完璧だ。
夜の闇に一緒に沈むには、妖艶で都合のいい女。本名も、年齢も、素性も知らない、一夜限りの恋人。
俺は裸の女の枕元に赤いクリスマスカードを残し、部屋を出てエレベーターに乗り込む。クリスマスカードは市販のもので、ツリーのイラストと『MERRY Xmas』と印刷されているだけ、自筆のメッセージも俺の連絡先も添えていない。
エレベーターを降りると、エントランスには朝日が差し込み、俺は幻想の世界から現実の光の中に解き放たれる。
早朝の明るい陽射しは、夜の闇に蠢く俺達には似合わない。お遊びの時間は、朝日が昇ると同時に魔法が解けたように終わりを告げる。
ホテルの前でタクシーに乗り込み駅に向かう。始発の新幹線に飛び乗り、俺は東京に戻る。
東京の下町でボロアパートに住んでいる俺は、時々こうして神戸の街で女と一夜を過ごす。
自分がセレブな男にでもなったような錯覚を、あの街の夜景が与えてくれるから。
中学生の時に両親を亡くした俺は、親戚の家をたらい回しにされ学校を転々とした。
『施設に入れないだけマシだと思え』親戚はそう暴言を吐き、俺を野良犬のように扱った。
そこにはあたたかな温もりも、あたたかな寝床も、あたたかな食卓もなく、俺は少年期に絶望を味わった。
貧乏なんか、クソ喰らえ。
俺を見下した親戚たちを、いつか見返してやる。
そう思っていたのに、俺はその貧乏から未だに這い上がれないでいる。
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