不機嫌な令嬢とイケメン家政夫には、ある秘密がありました。
【太陽side】

 深夜、二階から微かに聞こえた物音と女性の声。平生ならば聞こえない物音が地下室に微かに響く。

「……ぅ……ん。煩いな……」

 大晦日、一人でワインを飲み、テレビで除夜の鐘を聞きながら心地よい眠りについたのに、その安眠を妨げる者は、蘭子しかいない。

 また泥酔し、廊下で一人で騒いでいるのか。
 迷惑な話だ。

 まさか、酔った勢いでこの地下室に乱入してこないだろうな。

 俺は寝返りを打ち、布団を頭までスッポリ被った。

 新しい年の幕開けだ。今夜はいい夢を見たい。
 新年早々、女豹の餌食になりたくはない。
 頼むから、俺を襲うな。

「きゃあー……」

 地下室に届くほどの、尋常ではない悲鳴と何かがドスンと落下したような物音に、俺はベッドの上で飛び起きた。

「……な、な、なに?なに?地震か!?」

 ベッドから這い出し地下室のドアを開くと、二階から男の声がしやけに騒々しい。

「……やっぱり蘭子か。新年早々男を引っ張り込み痴話喧嘩をしているのか?ていうか、未成年の妹がいるのに、男を持ち帰るなんてどんな神経だよ」

 蘭子の乱痴気騒ぎに拘わりたくなくて、ドアを閉めようとした時、悲痛な叫び声がした。

「助けてー!」

 助けて?
 えっ……?助けて?

 一気に眠気も覚め、部屋の隅に置いてあったモップを握り締める。

 もしも蘭子が情事の最中なら、俺は完全にクビだな。蘭子のことだ、人には理解出来ない性癖があっても不思議ではない。

 足音を立てないように忍び足で階段を上り、二階を覗き見る。鼓膜を切り裂くような悲鳴は、蘭子の部屋から聞こえ、ガチャンガチャンと陶器やガラス瓶の割れる音がした。

 薄明かりの中、目を凝らして見ると蘭子の部屋のドアは少しだけ開いていた。ドアの外には赤い液体が流れている。

 ーー血……!?

 傍に走り寄り液体を指で掬い、鼻に近づける。指についた液体はプンとアルコールの匂いがした。

 何だ、赤ワインか。

 部屋の中をそっと除き込むと、ワインの瓶が散乱した床の上に蘭子は押し倒され、ネグリジェは捲り上がり白い太股が露わになっている。蘭子の体の上には男が馬乗りになっていた。

 男の姿は背中しか見えない。

 これはSMプレイか?随分派手にやらかしたな。なんて悪趣味なんだ。

 だが、蘭子から漏れる声は、情事の声とは異なる。

 床には歪んだサングラスが転がり、男の手で何かが光った。

 これが痴話喧嘩ではないと気付くのに、そう時間は掛からなかった。何故なら、男の手にはナイフが握られていたからだ。

 蘭子の着衣は乱れ、白い胸元は開《はだ》けている。

「蘭子さんから手を放せ!!」

 俺はモップの柄を思い切り振り上げ、男の頭上を目掛け振り下ろす。

 男はそれを俊敏に交わすと、右手でニット帽を下げ目深に被り顔を隠した。男の右手首からは微かに血が滲んでいる。

 蘭子が抵抗した際に投げつけたワインのガラス片で切ったらしく、部屋は割れたガラス瓶とワインが流出し、悲惨な状態になっていた。

 男は床に転がったサングラスを掴み、二階の窓を開け、大きな袋を庭に投げ捨て、自身もバルコニーからヒラリと庭に飛び降りた。

 まるで映画のワンシーンのように、怪我もなく庭に着地した男は袋を担ぎ逃走する。

 ていうか……すげぇ。

 コイツ、何者なんだ……。

 強盗は庭を走り抜け、道路脇に待たせていた仲間の車に飛び乗り、あっと言う間に暗闇に消えた。

 俺はバルコニーに飛び出したものの、庭に飛び降りる勇気はなく悔しさを滲ませる。

「ちくしょー!」

 振り向くと、蘭子は床に横たわったまま乱れた着衣を直そうともせず、ブルブルと震えていた。

「蘭子さん、大丈夫ですか?怪我はありませんか?」

「……だ、だ、だぁー」

 泥酔している蘭子は意味不明の言葉を発し、子供みたいに俺に抱き着き号泣した。

「わああーん……」

「蘭子さんもう大丈夫ですよ。警察にすぐ通報しますからね」

 俺は号泣している蘭子を宥めるように抱き締め、背中を擦った。
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