香物語
掃除の行き届いた綺麗なキッチン。

システムコンロの上では大きな寸胴鍋が弱火にかけられ、中のものがコトコトと煮込まれている。

キッチンと一体型のダイニングで椅子に腰を降ろし、本を読んでいた長倉 美智代(ながくら みちよ)は、鼻をひくつかせ、部屋いっぱいに満ちたスパイシーで芳ばしい、エスニックな香りに思わず微笑んだ。

大成功。

今日こそは広信(ひろのぶ)も満足するはず。

これで汚名返上よ――。

本を閉じ立ち上がると、右肩にかかっていた長い髪を後へ払い、キッチンへと向かう。

鍋の蓋を開け、中のものを覗き込んだ。

くつくつと、気泡が連続して弾けたように、カレーが静かに煮えている。

いつもと違い、今日のカレーは見た目と香りに奥深さがある。

美智代は自らが作ったそれに、自然と喉を鳴らしてしまった。

これでもまだ気にいらないと、夫の広信が言えば、カレーは二度と作らない。

そんな気持ちにもなってくる。

今日のカレーはそれほどのでき栄え。

美智代はまだまだ主婦歴一〇年と少しだが、その一〇年余りの歴史が、すべてこのカレーに凝縮されている気がした。
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