今日、世界は終わるのだ



汚れた床に雑巾をかけながら血溜まりに吐き気を覚える。

(グラムに買わせた絨毯に染みなくてよかった)

「シャワー浴びようぜ」

血溜まりを拭き取り、なんとか血の気配を消し終わるとグラムはそう切り出した。
血を含んだ雑巾を浴室で洗い流しながら、別に汚れた覚えのない私は首を傾げる。
まあ確かに、手は綺麗に洗いたいけど。

「触られたろ」
「誰に?」
「あのガキ共に」
「はぁ?」

そう交わしながら、グラムは早々と服を脱ぎ、強引に私の腕を引き寄せ雑巾を端に寄せる。
勝手に準備万端だ。

「ちょ、」

そして私が着ていた服にまで手を掛ける始末。

「やめてよ、変態」
「いいから」

良くない。一緒に風呂なんて嫌だ。
ただでさえ風呂に入るのは体力がいるってのに、こんな疲れきった状態で誰かと一緒に浴びるなんて無理。

「いやだ、って」

勝手にシャツの釦を全開にしているグラムの腕を掴む。

「いやよいやよも好きのうちって言うだろ」
「どこで覚えてきたのよそんな日本語」

やめてってば。

「キスも嫌、セックスも嫌、風呂も嫌」

言いながら、私の両手を片手でひとまとめにするとシャワーのコックに手を伸ばす。

「うゎっ」

背中に突然降り懸かった冷水に驚き心臓が止まりそうになった。

「ちょ、馬鹿っ……つめた」

勢いよく飛び出す冷水から逃れようと、私を覆うように立っているグラムに体を寄せた。
それに少し満足げな顔をしたグラムに、私の心臓が跳ねる。

冷たさと温もりにほだされた空気が、妙に湿度が高くなって柔らかい。

「ほら、脱げって」

完全に冷えた耳朶を甘噛みされたが、感覚すらない。

「こ、の、死ねクソ猫」

悴む唇で悪態を吐くが、すぐさまグラムの唇に塞がれた。
私より少し温度の高い唇が、心地良い。

バカバカしい。
大の大人が狭苦しい浴室でちちくりあってりゃ世話ないわ。
浴室に笑い声が響く。

「間抜けだな、俺達」
「ほんとだよ」

グラムの腕が私の背中にまわる。

温かい――…、愛しい。




「……私、引き留めるかもしれないよ」

グラムの灰緑を覗き込みながら、冗談めかした本気を口にする。
グラムはやはり笑みを湛えたまま、私を見ていた。
それでもどこか寂しそうに見えるのは、私がそう望むからだろうか。

「……引き留めても、留まらねぇよ」

残酷で無粋なのに、優しい。

「……私、他の男に抱かれててもきっと、あんたのことを考えてる」

そうして誤魔化したいままキスをした。背中にまわされた腕に力が込もる。

嫌な女でごめん、グラム。
嫌なこと言わせて、ごめん。

「ん」

グラムの熱を持った掌が私の髪を撫でる。
お湯を吸ったシャツが醜い音を立ててタイルに落ちた。
はだけた肩をグラムの指が探り、金の獣がつけた噛み痕の凹凸を撫でる。

「残らねーかな」

その凹凸に唇を当てながら吐き出されたそれに、私は堪えるように瞼を閉じた。

つまらない独占欲が嬉しい。

それが、ただ。


「……私、やっぱ、あんた大嫌い」

そんな、思わず零したような言葉で私を縛り付けるような狡い男。

「言ってろ」

唇が歪む。
グラムの金色が濡れて柔らかに私の体に張り付いていた。

浴室で良かった。
互いにぐしょ濡れのまま抱き合って、涙を流しても解らない。
グラムの指が私を翻弄する。
どうしようもない。
なにも感じず、ただ、グラムのひとつひとつを冷静に脳に体に刻みつけようとするのに。

「……ぁ、」

なにも考えられなくなるから。
二つの体に降り注ぐ湯の熱すら、私を逆上せさせる要素になって、苦しい。

グラムの、今は綺麗に切り揃えられた爪が私の肌に傷を付けた。

「った、」
「痛がれ」

この変態。
いつからそんな趣味になったんだ。
残るほど傷を付けたって、責任なんか取らないくせに。
髪の付け根に歯を立てて、肉に喰い込むほど力を込める獣。

「……俺さぁ、」

歯で首筋に噛みつきながら、爪で腹に蚯蚓を這わせ吐息で吐息を奪う。
私はもう、痛みやら快感やらの波に流され喘ぐしかない。

「キスマークってのは総じて、お門違いの独占欲や支配欲を満たすうざったいもんだと思ってた」

ぽつり、意識を繋ぐのに必死になっている私に聞かせる気があるのかないのか。

「……好かねえんだよ、あの気色悪い腫瘍みたいなの」

だから代わりに傷を付けるのだろうか。
だとしたら、こいつは相当不器用な男だ。

「女ってさ」

私の下半身を腕で抑えつけながら、じわじわと追い詰めていく。
今自分が口にしている事を、まるで聞いてほしくないみたいに。

「付けられた傷を、男の独占欲と履き違えるだろ」

ずくり、痛みか快感かどちらともつかない感覚に痺れていく。
確かにそうかもしれない。
現に私もそう思ってる。

――でもそれは、相手を愛してるからこそそう思いたいのだとと解らないあんたはまだガキだね。

「体だけの女にそんな勘違いされたくなかったし」

だから、付けた事なかった。

「こんなもん……」

そう言って、私の皮膚を鬱血させる。
歯が柔らかな肉に喰い込むくらい、強く。

痛みに喉がひきつる。

(――こんなの、戻れなくなる)



「なんで、じゃあ、付けて、」

息も絶え絶え。
望む言葉を聞かせて、グラム。

「わかんね……」

けれどグラムから漏れた言葉は期待外れもいいとこの予想外。
こんな時くらい、嘘でもいいからロマンチックに決めたら。

馬鹿正直に、わかんねってなに。
悪態を吐こうと開いた口はそれなのに。

「あっ、っ……」

男を悦ばす声ばかり。

「でもお前、には」

グラムの唇が、臍から上に上がりながら痕を残す。
ひとつ、ふたつ、ねぇ、オマエには、なに?

続きは口にしなかった。

この金色の男は呆れる程意地っ張りで不器用な男だと思う。

そして、私も。



「リナ……」

――愛しい。

「グ、ラム……っ」

消えないで、絶対。
こいつの残した痕だけは、消えないで。

「リナ」

熱に魘されたままの体には名前しか降りかからない。
好きだって、こういう時くらい言ってよ。

「グラム、好き……」

だから代わりに言ってあげる。
情けなく震えたけど、応えて。

「……解ってる」

結局、返ってきたのはその一言だった。
でも、触れるだけのキスが降ってきて。

馬鹿馬鹿しい。
それなのに、酷く満ち足りたまま、私は眠りに落ちた。

グラム、グラム。

墜ちる寸前まで愛した男に縋って抱かれて、ねぇ、愛してる。

あんたが愛しい、グラム。



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