プラチナの誘惑




出社してみると、設計部全体に緊張感が感じられた。
普段通りに仕事をこなす背中にも、何か固い不安が漂っている。

…俺もそうなのかな…。

ふっと息をついて席に着くと知らず知らず考えてしまうのは、やっぱり周りのみんなと同じ…。

夕べ熱い夜を共に過ごした彩香でさえ朝起きた途端に無口になって不安を隠そうとしなかった。

そう、今日の午前中に、柚さんの帝王切開による出産がある。
昨日直接会話をしたせいか、彩香は感情の全てを柚さんに向けて祈るような表情で出勤した。

あまりにも不安そうな彩香の手を握って会社に着いた時も、同僚達の冷やかすような視線に気付く事もなく、ひたすら俺の手をぎゅっと握っていた。

昨日、親父の会社のビルにある美術館から持ち帰った『虹』の絵。
彩香が悲しい時や不安な時に慰めてもらっていたらしい俺の描いた絵。

『柚さんの出産の後、新居に飾ってもらおうよ』

そう言って、何かに縋ろうとする思い詰めた表情に、俺は頷くしかできなかった。

簡単にしか聞いていないけれど、野崎さんと柚の姉さんとの間には何か色恋に関係する事があったらしい…。

『柚さんの過去は変えられないけど、未来にこの絵を役立てて欲しい…』

そして、俺の足元には、その絵が置かれている。

無事に出産して、この絵を親子三人で見てもらえるよう…。

仕事にとりかかりながら…募る緊張感が俺の身体を包んでいく。
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