I love you(短編集)


下校時間をとうに過ぎた校内、廊下に響く澄んだ歌声に誘われるまま真っ暗な教室に足を踏み入れた僕を、彼女は柔らかな笑みで迎えた。


窓際に立ち、水を打ったような静寂にさえ消え入りそうなほどにか細い声で、今晩は、先生と言う。


…見覚えのある顔だった。僕が受け持つ国語のクラスの生徒で、くっきりとした二重の瞳と、大人びた雰囲気を持ちながらもどこか幼さの残る表情が印象的な、彼女。


教師である手前、早く帰るよう促そうと、口を開く。

だが、こちらを真っ直ぐに見つめる澄んだ瞳に、何故かちくりと胸を刺されて――出かけた言葉は、喉の奥に押し込められた。


彼女はそんな僕を見て小さく笑むと、やがて照れたように頬を染めて俯いた。


それは、飾ることを知らないありのままの少女の姿で。胸の奥が、何かの警告のように甘く痛んだ。


彼女は、ちらりと僕を上目遣いに見ると、目が合った途端慌てたように視線を落とした。そして暫しの沈黙を守った後、視線をしずかに窓の外に移した。


僕も無言のまま、それを追う。


だがしかし、そこには只の闇しか無く、一体そこに何があるのかと数歩だけ窓に近づき、彼女と適度に距離を持てる場所まで来て、足を止めた。



……見上げた先には、どこまでも深い闇に、眩いほどに輝く三日月が浮かんでいた。



目を細め、暫しそうして三日月を眺めたのち、隣に視線を移すと、こちらを見ていたらしい彼女と視線がぶつかる。
瞬間、月明かりに照らされ、白く淡い光を持っていた彼女の頬が、真っ赤に染まった。


…その時僕は、彼女との間に引かれた一線を越えていこうとする何かと、それを阻もうとする何かを、じわじわと胸を熱くする鈍い疼きの中に感じた。


そんな内なる僕に気付いているのか、居ないのか。

染まった頬はそのままに、三日月を見上げた彼女の唇が、ゆっくりと動いた。








「…今夜は、月が綺麗ですね」








-I love you-






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