黒の生け贄。〜悪魔は笑う〜
僕は面倒臭がりながらも昔は確かに生け贄が存在していたことを説明する。





日本では 、『日本書紀』の「皇極天皇元年(642年)」に牛馬を生贄にしたと言う記録がある。


実際に6世紀末から7世紀頃の遺跡からは考古学的資料として牛の頭骨が出土する事があり、それは道教呪術儀礼の影響によるものだ。




人間を生け贄(人柱ともいう)にしていたことも実際にある。
それを人身御供(ひとみごくう)という。


江戸時代、松江の宍道湖にながれる大橋川は昔は流れが早くて橋を建ててもすぐに流されりことがあり、そのために松江城築城のころに人柱をという話があがり

『翌日の朝一番に横縞の継ぎをした袴で仮橋を渡る男』


を人柱にするということに決め、その男が足軽の「源助」という男で源助は箱詰めにされ、南から3番目の柱の下に埋められたらしい。


それ以来300年、橋は流されることが一度もなかったらしい。


この話は実際にあり今でも大橋のたもとには源助の碑がある。





亜美は僕の話を聞いてパチパチと手のひらを叩き、

「号君、すごいね〜。そんな詳しく知ってるんだぁ」

詳しく話した僕に亜美は感心したらしい。




亜美は僕の趣味を知らない、だからと言って隠すつもりもないが言うつもりもない。





亜美は満足したのか話をチェンジして好きな漫画の話を一時間に渡って語り、ショッピングモールを出た。





帰り間際に亜美は「ありがとうまたデートしようね」と言って帰って行った。




僕はまたは無いと思いながら家に向かって歩いた。

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