恋する季節の後ろ髪

 幸せとは、


『仕合わせ』


 と、もともとは書くのだそうな。

 つまり、


『する』+『合わせる』


 ということで。

 それが意味するのは、



『巡り合わせ』



 ということ。

 だから誰かと、何かと出逢えるということはそれだけでもう“幸せ”なことなのだ。

 数日前に出張先で一生のお気に入りとなった紅茶に出逢えたのも。

 去年思い切って買った若草色をしたスウェード生地のショルダーバッグも。

 アパート入口のひさしに作られた巣立ちを終えて住人のいなくなった巣を今になって観付けたのも。

 すべては素敵な巡り合わせ。

 声の素敵な最寄り駅の駅員さん。

 切りそろえられた銀木犀がならぶかつての通学路。

 良く晴れた日には愛想のない猫の特等席になるポスト。

 別れ話を切り出した公園。

 すべては“幸せ”を形作るための大切な欠片(カケラ)たち。

 人生というのは足元の石を拾い上げてそこらに投げたときのように、予測もつかずいろんなところにぶつかって、飛び跳ねて、やがて立ち止まって。

 欠けたりすることもあるけれど、案外それが“イイ味”になったりして。

 だからまた、懲りずにそれを拾い上げて遥か彼方をめがけて投げてみる。

“幸せ”の形になりますようにと。

 そうしたら。

 もしかしたら。

 飛んで跳ねてぶつかって転がったその先で、





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