あなたへ。
そしていよいよ待ちに待った海水浴当日。

現在の時刻は午前10時。
あたしは、明との待ち合わせ場所である、自宅から徒歩10分のコンビニで、雑誌を立ち読みしながら彼を待っていた。
持っているトートバッグは、バスタオルや着替えや砂浜で使うビニールシートを詰め込んだお陰で重く、最早肩がおかしくなりそうだった。

今日も朝から気温が高く、これ以上ないってくらい空は快晴だ。
まさに海水浴日和である。

明は家の車を運転し、まずここであたしを拾い、それからまどかと千晶の家まで行き、二人を乗せて海水浴場に行く。
一方のフェニックスのメンバーはと言うと、ベースの隆人…いや琉斗が家の車を使い、彼女と海と慎を乗せて来るのだと言う。

ちなみに目的地は、少しばかり遠出をして、あたし達の住む街から車で約2時間の距離にあるY町の海水浴場だ。
そこはフェニックスのお気に入りの場所であり、標高300メートル近い岬と数々の山に囲まれている。比較的大きな海で、簡易トイレやシャワー室などが設置され、炊事棟もある為キャンプをする若者や家族連れも多いのだと言う。
沖に波消しブロックが設置されているので、波や風も然程強くないらしく、あまり泳ぎが得意ではないあたしでも安心して海に入る事が出来そうだ。
まぁ、明曰くフェニックスがそこを気に入った一番の理由が「駐車場が広く、しかもタダ」と聞いて、少し笑った。何かとお金の掛かるインディーズバンドは、金銭的にシビアでないとやっていけないものらしい。

海水浴と言えば、子供の時に家族四人で隣のI市にあるこじんまりとしたビーチや、高校時代にまどかや千晶と自転車で行った、近郊の街の海水浴場しかあたしは知らない。後者は、夏はいつ行っても軽薄そうな若者でごった返している上に、遊泳やキャンプよりもナンパや【一夜だけの大人の交際】目当ての不純な客が多くてあまりいい想い出がないが。

ふと雑誌から目を上げ、窓の外の駐車場を見ると、いやに年季の入った白い軽自動車が一台、停まっているのがわかった。
その運転席には、派手な柄のアロハシャツにサングラスを掛けた明が乗っている。
普段のあたしなら怖くて絶対に近付けない人種の風貌だが、それを見てすぐさま店を出て助手席のドアを開ける。

「おはよう!」

「おう」

あたしが挨拶をすると、明がサングラスを少しだけずらして笑った。
その笑顔に、今日もまた魅了される。

「あ、飲み物とか買ってく?」

「いや、あいつら途中でお茶とかジュースとか食い物適当に買ってくるって言ってたから、任せちまおうかと思って」

「そうなんだ。じゃあ早速出発する?」

「ああ」

それを聞いて、あたしはシートベルトを締める。
すると明が、後部座席にあったコンビニの買い物袋から、缶コーラを二本取り出した。

「でも、これは別。…あ、ゴメン。友達の分買ってくるの忘れた」

わざとらしく肩をすくめる明に、思わず声を出して笑ってしまう。
まるであたしの笑い声を合図にして、明は車を発進させた。
つい最近運転免許を取得したばかりだと言うのに、明のハンドルさばきは慣れたものだった。

「そう言えばさ、杏子水着どうしたの?」

サングラスの奥にある明の目が、チラリとあたしを見る。

「うん…。水着持ってなかったから、買っちゃった」

結局あの日はあれから、三人で街の中心部に繰り出し、ファッションビルで水着を物色したのだった。
まどかはバイトの給料が入ったばかりだと言うので、気前良く新作のビキニを購入していた。
一年に一回か二回しか着る機会がない物に、そんなにお金は出せないと思ったあたしと千晶は、それより半額以下の値段のものを買った。

「マジ!?ビキニ?」

「う…うん。」

「この中に着てるんだよね?」

道路が信号待ちな事もあり、明はあからさまにあたしの体を見る。
現地に到着してすぐ海に入れる様に、今着ているマキシワンピースの下に水着を付けてきたのだ。

「…あんまり見ないでよ、恥ずかしいから」

あたしが目を反らして俯くと、明は「ん、ゴメン。なんか俺、楽しみでさ」と片手であたしの頭を撫でてくれた。
あたしが運転している訳でもないのに、事故ったらどうしようと思った。

そうして、あたしがナビ役になり、新庄家に近い順で千晶のマンション、まどかの家へと到着し、二人が明の車に乗り込んだ。
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