今生きている命とこれから産まれてくる命〜小さな自分の結婚までの道のり
命〜生活〜不安
恋を諦め、出会いを求め、諦めていた恋をし、妊娠。結婚。


十七歳の時、二年程付き合った人との間に子供ができた。結婚を決めたが、お互い若かったのもあり、責任とゆう重さに押し潰され結婚を断念。子供も降ろすことにした。産まれてきてほしかった。産みたかった。産まれてきたら辛いこともあるだろうけど楽しいこともあったはず。避妊をきちんとしていれば命を奪うこともなかった。命を奪ったこと、「ごめんね。産んであげれなくて」しか言えない自分がとてつもなく小さくみえた。小さい人間だと思い知らされた。これをきっかけに恋をすることまでも諦めたのに半年後、諦めたはずの恋をまたしてしまった。相手は今の夫。命を奪った私が幸せになってはいけない、同じ過ちを繰り返さないようにとも頭では思っていても一瞬でも過去の過ちを忘れてしまった自分がいたのだろう。付き合って六ヶ月。また妊娠。ただこの時は例え一人になったとしても絶対産むと決意を固めていた。彼(夫)は私と結婚する前に三度の結婚を経験している。罰三。初めは彼(夫)が奥さん以外の女性を本気で好きになって離婚。子供一人。二度目は奥さんが彼(夫)の知人と浮気し離婚。子供一人。三度目は奥さんがノイローゼ気味で我慢を重ねたが上手くいかずに離婚。子供一人。三度の結婚、離婚をし、子供も三人いる。子供は全員奥さんの元で育っている。離婚してからは子供と一度も会っていないとゆう。どんな理由があっても子供には何の罪もない。彼(夫)はなぜ子供に会わないのかとゆう問いに「下手に会うよりいないと思ってくれたほうが子供にとって良いだろう」と思って会わないとゆう。私から見れば子供のためではなく大人の逃げにしか見えない。だって子供は会いたいと思っているかもしれない。それを親が勝手に子供のためだと決め付けるのはどうかと思う。もちろん私も自分のことを棚にあげるわけにはいかない。子供も産まれてきたかったのに私が勝手に降ろした。産まれてきたら幸せを感じることがあったかもしれないのに。結局全て大人、親が悪い。罪深い。子供は親を選べない。それが現実とゆうことか。我慢ができない。責任が持てない。力のない小さな人間が子供を不幸にしている。そんな子供を不幸にしてきた二人が一緒になって新しい命を産み育てようとしている。これでいいのか。不安の中、子供は元気に育っていく。
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