六天楼(りくてんろう)の宝珠
 額の感触が消え、あっけなく夫の気配が遠ざかった。椅子から立ち上がったのだ。

「碩有様……?」

「今日はこの辺りで戻ります。明日、朝早くに起ちますので」

「あ、は、はい」

 慌てて彼女も立ち上がり、見送りに戸口に付き添った。

 笑顔を見せて去っていく姿に微笑み返して、その背中が視界から消えると脱力して椅子に倒れこんだ。

「……紅だって……効かないじゃない」

 ぼそりと呟く。

 それでも触れられただけ、進歩したのだろうか。いつもはそれすらもないのだから。

 翠玉はすでに碩有に恋をしていた。ここに来るまで、恋愛経験がなかったわけではないのでそれは自覚している。だが夫は、全く自分に手を出そうとしない。

「しどけない格好、するしかないのかしら……」

 半ば自棄気味に独りごちて、彼女は──明日からの会えない二日間をどう過ごそうかと──途方に暮れた。

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