彼-id-SCOUP

 今思えば失礼にもほどがある話なんだけど。

 あまりの驚きに店内へ転がるように飛び込んだわたしは開口一番、

「絵、なんでっ!?」

 そのときちょうどショーケースを拭いていた八重さん。

 出た一言が、

「えっ!? 何が?」

 まぁ、そうなるよね。

 のんびりとお掃除していたところ突然、慌ただしい来訪者。

 しかも慌てすぎて文章になってないし。

 でもそこは八重さん。

 うまく言葉が出ずに口をぱくぱくさせるわたしに、

「とりあえず、お店は逃げないから。ね?」

 そういって1杯のハーブティを差し出してくれたのだ。

 カモミールティ。

 心を落ち着かせてくれる効能を持ったそれは若々しいリンゴに似た香りがして。

「苦手じゃなかったかしら? ハーブティって好みが分かれるんだけど……」

「あ、とってもおいしかったです! わたし、ハーブティ好きなので……あの――」

「ん? なぁに?」

「あの絵……」

 指差した先には桜色と白黄色の淡いグラデーションで彩られたカンバス。

 中央にはメビウスの輪の形に切り取られた空が描かれていた。

「あぁ、あの絵。あれが気になって?」

 わたしがこくん、と頷くと八重さんは嬉しそうに目を細めて、

「あれはね。私の親友が描いてくれたものよ……」

 そのときの衝撃ったらない。

「し、親友って、く、日下紗智さんとお、お、お知り合いの方なんですかっ!?」

「え、えぇ。幼なじみなのよ」

「えぇぇぇ!? わ、わ、わたし紗智さんのファンなんです! あ、握手して下さい!!」

 すっかり舞い上がってたわたしはなぜか八重さんの手をとってぶんぶんぶん。

「あらあら」

 困った顔をしながらも、初対面の他人にそんなことされて嫌な顔はまったくしなかった八重さん。

 思えばこのときに彼女のことも大好きになったのだ。

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