青いリスト
社会について
傷を残したまま社会に出た。
何を基準に社会に出たというのか、別に出たくて出たというわけでもない。
強いて言えば繰り返し言われてきた[将来]という言葉が[現実]に変わったという事だけである。
混濁した景観をずっと見てきた私にとって、現実というのは眩しすぎた。太陽が照らしだす夜明けの光や道徳心の無い人間の集まり等、今まで目を背けてきた事がいやが否でも直視される。ぼやけていない視界の中をこれからどうやって歩いていけばいいのか?それは失ってきたものか、元来私に備わっていなかった所謂人格の欠陥なのか、イジメられた傷痕から膿が出てきているのか、それは分からない。ただ、歩かなければ元に戻るしかない。二分化された世界を往復しながらやがて訪れる死を待たなければいけない。生への執着が無いのではなく、逆にありすぎるのだ。それは生きていないという現実を身をもって経験しているからだ。例えば、[お金なんか必要無い]と言っている人は現在、自分がお金を掴む手段を知らず、手にしていないという事を肯定する事で社会とのバランスを保っている。それは決してお金を手にするのを諦めたという事ではないのだ。
要するに負け惜しみである。
社会の中では自己防衛が負け惜しみとして捉らえられる。
これが[将来]というやつの正体である。過去から現在に変わっただけ、日々、戦い続けていかなければいけないという状況は、イジメにあっていた時のそれと同じではないか。一体どこが違うのか?
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