地味子の秘密*番外編*
◆今日は残業なしで


ガタンッ……、と大きな物音を立てて、俺は椅子から立ちあがった。


「社長?」


室内にある本棚の整理をしていた秘書が振り返る。

突然の物音に驚いている様子。



「俺、帰るから!」


そんな秘書に一言告げて、いそいそと帰宅の準備をする。


「え? 社長、まだ就業時間では……」

「もう5時になった! 今日は帰るんだよ!!」


ヤツが勤務時間だと咎めて来るが、俺は社長室内にある壁に掛けられた重厚な時計を指差して叫んだ。

今日は残業なしだ。

絶対に。

いつも夜遅くまで仕事やってんだ、今日くらい早く帰ろう。


「あ、もう5時ですか。今日は何か予定でも?」

「杏が、今日はパーティーするから早く帰って来いって」

「杏樹様が?」


不思議そうな北原は、一瞬考えた顔をして……『あーそっか』というような納得いった表情になる。


今日は10月31日。

伝統の日本文化じゃないが、最近流行っているらしいハロウィンってヤツだ。



先週、突然杏が。


「ねぇ陸! ハロウィンパーティーしよう!」


そう持ちかけてきた。


いつもの仲間たちを呼んで、仮装をして。

身近な人間だけでの宴を。



仲間たちはみんな忙しく、最近会えてない。

集まる機会も昔よりずいぶん減った。


「そうだな、やるか」


久々に集まるか。

そう思って承諾した。


その後、杏は楽しそうにパーティーのお知らせをみんなに出していた。


そうして……パーティー当日はやってきたのである。



自宅まで梶原さんの運転で送ってもらう。

その道中。

車内から見えたものに目を奪われた。



「止めてくれっ」


俺の一言で車は路肩に止まり、梶原さんが不思議そうな顔で振り向く。



「社長、どうしました?」

「ちょっと待っていてくれ。すぐ戻る」


そう伝えて、俺は車を降りた。

目の前にあるのは歩道に面したショップ。

ショーウィンドウにディスプレイしてある洋服を見て、一度頷き……扉を開けて店内へ入る。


カランカラン……と、レトロな音がした。


「こんにちは、いらっしゃいませ~」


音に反応したのか、女性店員が顔を上げる。

店内はこじんまりとした広さで、内装もかわいらしい。

まじまじと見ていると。


「あの、今日は何かをお探しですか?」


店員が話しかけてくる。


「あぁ……あの店頭にディスプレイしてある服が欲しい」


そう言うと、店員の顔がほころんだ。



「そちら、可愛らしくていいですよね。ちょうど、今日のイベントにも最適ですし」


にこやかな店員は、隠されていた棚からディスプレイと同じ服を取り出す。

在庫から出してくれたのだろう。


「こちらでお間違いないでしょうか?」

「あぁ」


目の前に出された商品を確認して、店員はレジへと持って行く。

支払いを済ませながら。


杏にまた買ったの!?って言われるな……

そう思っていた。



自宅の玄関を開けると、いい匂いが鼻をかすめた。

もう料理は出来上がっているようだ。



「ただいまー」



声をかけると奥からパタパタとかけてくる足音がした。



「おかえりー今日早かったね」

「早く帰って来いって言ったのはお前だろ?」

「そうだったね」



和やかな会話をしていると、『あぁ~家に帰ってきた』と感じる。

そうして、腰にエプロンをつけた杏が姿を現した。

長い髪はクリップでひとつにまとめ、薄手で襟ぐりが開いたニットとふんわりと広がる膝丈のスカートを着ている。


「いい匂いがする……何作ったんだ?」

「かぼちゃのシチューとかローストビーフとか、お菓子も焼いたよ」

「そっか、楽しみだな」


笑ってみせると、杏は嬉しそうに抱きついてくる。


「頑張って準備したもん」


出会ってから10年以上経ち、それまでに色々とあったのだが、コイツのスタイルは崩れない。

豊満な胸元に細い腰、スラッと伸びた手足。

とても……―――――――――――とは、思えないよなぁ……。



いつも杏を会社のパーティーとかで取引相手に紹介する時、驚かれるわけだ。

そして、言い寄る輩が絶えない……年齢を重ねるごとに美しくなっていくから仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないが。



細身の体をしばらく抱き締めていると。





「ぱっぱ……!」




もうひとつの愛しい声がした。
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