モノクロォムの硝子鳥

(――あれ…?)

はた、とそこで気付く。
もしかして、彼はずっとそこに居てくれたのだろうか?
気付かなかっただけかも知れないが、彼が部屋を出て行く気配は無かったような気がする。

何十分、何時間と経ったかもしれない時間の中、ずっと傍らに控えてくれていたのだろうか?

気になりだすと尋ねたい衝動に駆られるが、聞いた後でどう反応して良いのか困るのは自分だと思い直して気持ちを押し込んだ。


「そのように辛そうなお顔で、どうして大丈夫だなどと言われるのですか?」

「え……?」


切なさの篭った口調に引き寄せられて、伏せていたひゆの視線が持ち上がる。


「気持ちを隠すだけでなく、自分自身を押し殺している痛みに気付かないふりをされている。それで、本当に大丈夫なのですか?」


ひゆの瞳が大きく見開かれる。
何か言おうと唇を動かすが言葉が出てこない。

傍らに控えていた九鬼はいつの間にか距離を縮め、ソファーに座るひゆの目の前まで来ると強い視線で真っ直ぐ見下ろしてくる。

九鬼に見つめられると気持ちが落ち着かないのはどうしてだろう。
彼の言葉の意図が見えずひゆは戸惑いに表情を曇らせる。

義永とはまた違った強い視線を受け止めるのが苦しくて、視線を逸らそうとするのを九鬼の言葉が引き止めた。


「――貴女が望むなら、全て私が叶えて差し上げましょう」


響く声音はひゆの心の核を大きく揺さぶる。

口元に僅かに笑みを浮かべ、ひゆを見下ろす男の姿がそれまでに無い言い知れぬ妖艶さを纏っているのに気付いて、無意識に身体を引いてしまった。

目の前にいるのは、本当に先ほどまでの彼だろうか――?


「……なに、を」

「望む物が見えないのでしたら、私がお手伝い致します。蓮水様の為に、私が何もかもお教え致しましょう。その為にはまず貴女自身が素直に心を開いて下さらないとなりません」


望みを叶えてくれる?
自分の望みが何なのか分からないのに、何を叶えてくれると言うのか。


「九鬼さん、あの……私、話が見えな……」

「ご心配は要りません。貴女はただ、望めば良いだけです」


先程からの見えない会話に尋ね返したくても、九鬼の深い黒曜石の瞳がひゆの言葉を奪って上手く訊き返せない。
滑り込んでくる低いテノールは甘さを含み、何かの呪文のように見えない枷でひゆを戒めていく。

ひゆを見下ろしていた九鬼は片膝をついて足元に跪き、匂い立つような艶やかな微笑を浮かべた。

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