ボーダー

規則

〈柏木 康一郎side〉

日本に帰って、それぞれの家に1度帰った後、エージェントルームに一度戻る。

「休んでな?
仮眠室使って寝ていいよ。
疲れたし、眠いだろ?」

そう明日香に伝えて、明日香の頭にポンと手を置いた。

義理の兄になるんだ、可愛い義理の妹を甘やかすくらいはして良いはず。

これくらいで怒らないよな、徹。

俺は室長のみが入室を許されている部屋に入った。

しばらく社員たちのレポートに目を通して、ついでに徹にもメールを送る。

無事に日本に着いたことくらい、一報を送っておかないと心配するだろう。
とりわけ、未来の妻のことは心配になりすぎてソワソワしているかもしれない。

そんなことをしていると、もうお昼休憩の時間を示すチャイムが鳴った。

俺も仮眠室でひと眠りしてくるか。
そう思い、仮眠室に向かう。

サックスブルーのワイドパンツに、黒いパンプスを履いた女の人とすれ違う。
会社の就業規則には「社会人として仕事をするに相応しい格好で良い」というようなことしか書いていない。

それでも明日香は頑なに、職場にスニーカーやブーツ、サンダルといった類の靴を履いてくることを拒む。

「お疲れ様です。
あ、室長!
室長も仮眠を?
疲れてますよね。

もしよろしければ、一緒に昼食でもどうですかって誘おうとしたんですけど。
疲れている上司を無理やり引っ張って行くのもどうかと思うので、今回はやめておきます。」

俺の肩くらいの位置から聞こえてくる柔らかい声。
まごうことなき、俺の義理の妹、明日香だ。
正確には、義理の妹になるのはまだ少し先になるのだが。
求婚には成功したんだから、そうなるのも時間の問題。
義理の妹ができるとは思っていなかったので素直に嬉しいのだ。

若いと身体の回復も早いなぁ……
まぁ俺も、疲れたままじゃ困るんだけど。
午後から久しぶりに行く場所があるからね。

「体調が悪いとかないのか?
俺も、ひと眠りしようと思ったが、少し午後に行くところがあるんだ。
疲れてちゃあ何にも出来ないからな。
美味いものを食べてエネルギーをチャージしたいと思っていたところでね。

明日香がいいなら付き合ってくれ。

後で話すけど、俺も幸せそうな弟を見て、覚悟を決めたよ。

そういうことだから、支度してくる。
明日香も、準備が出来たら外で待っていてほしい。」

エージェントルームから出ると、すでに明日香が待っていた。
パールのピアスが華奢な耳を華やかに見せている。
財布やら携帯、ハンカチしか入らないのでは?というレベルの黒いカバンが肩から下がっている。

最近出来たばかりのイタリアンの店に入る。

「先にメニューを決めてください」

そう言って、メニューを差し出してくる。
明日香は本当に礼儀正しい。
エージェントルーム内では絶対に何があろうと"室長"って呼ぶ。
弟の徹がホレたワケ、分かる気がするな。

明日香はカルボナーラとセットのアイスコーヒーが来る間、お冷を口にしながら、真剣な目で尋ねてくる。

「ずっとずっと、気になってたんです。
"社内恋愛禁止"っていう規則があるのはなぜなんだろう、って。
まぁ、それを破ってる人間は私と徹。
他にもナナちゃんと矢榛くん、ハナちゃんとミツくん。
私が把握してる中ではその3組。
何か、理由があるんですよね?
先ほど、覚悟を決めたよと仰ってました。
規則を撤廃することも、やぶさかじゃないんですよね?」

まさか、ここでこんなことを聞かれるとは思わなかった。

「ああ。幸せそうな様子を見てると、こんな規則で縛るのがバカバカしくなる。
明日香には……教えておくかな。」

「俺は高校のときに好きだった2学年下の女と離れ離れになった。
というか、俺は大学に行かずに働いたんだが。彼女は学校の教師を目指していた。
イジメのないクラスを目指したかったんだと。
彼女は俺よりイケメンな彼氏と付き合っていてね。
もう彼女と会えないかと思っていたけど、2年前にあった高校の仲間との集まりの帰りに思い出の場所で彼女と再会できたんだ。
だけど……
その場で冷たく言われたよ、今は誰かと付き合うとか無理だ、ってね。

教育実習に行ったときに、教師や生徒から陰口言われたときにダメなものはダメだってハッキリ言ったそうだ。
そうしたら、さらに教師から露骨なイジメを受けるようになって、教師になるのをそのまま諦めたらしい。

柊 志穂《ひいらぎ しほ》っていうんだけど、かなり正義感強いやつだったからね。
俺は志穂のそういうところに惚れたんだけど。
……しかも、当時付き合っていた男に散々振り回されて、束縛も相当激しかったと聞いた。

誰かと付き合ったらこんな思いするのか、と少なからず思った。
皆を悲しい目には遭わせたくないから……
こんなくだらない規則で縛った。
それだけだよ。」
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