あの日の記憶
確かなことと不確かなこと
例えばある人はこう言うかもしれない。過去に戻れたら、あの人を幸せにしてやりたい、そんな想いが。
僕にもそんな思い出の一つや二つはある。 当時僕は長年勤めていた国内電話会社の法人営業部をやめた時だった。僕は会社を辞めてからというもの、有り余った貯金と法人営業部で身に着いたなれなれしい営業丸出しの言葉遣いを直すのに終始していた。
付き合っていた彼女にはマンションから出ていかれ、僕の毎日はマルキーベリオットの「憂鬱な日の出」のように暗鬱としていた。
朝から新聞とワインを片手に昼まで過ごし、夜になると近くのバーに寄りアーリータイムズをノーチェイサーで飲む。そのまま鉛のように眠る。サンライズサンセット。そうやって一か月が過ぎた。 そして僕は城崎温泉に行った。
城崎温泉駅には観光客やら業者やら、そんな人間でいっぱいだった。僕はそんな彼らを横目に宿に入り、そして疲れをとるために眠った。
「こんなところに一人で来たの?少しおかしいんじゃないの?」 「僕は生活のほとんどを一人で過ごすし、他人に干渉されるのはもう…」そう言い終わらないうちに彼女が口を挟んだ。
「僕は生活のほとんどを一人で過ごすんだ。なにかの映画の見過ぎじゃないの?私だって好きで一人でこんなとこ来た訳じゃないのよ。」
彼女はゆっくりと僕の部屋に入り腰を降ろした。
「私だって好きな人と来たかったわよ。それがどんなに実らない恋でも。妻子があって、結局捨てられたってことでも。でも結婚をして子供が生まれても忘れたくないことってあるの。」そう言うと彼女はマールボロを一口吸った。
「私、少し喋りすぎたかしら?」
一分が数倍の時間にも思えるように雪が外の窓から見えていた。 「君と寝てみたいな。」
そして僕たちは寝た。あの日は外湯巡りの最中に雪がさらに激しく降ってきたののを覚えている。
今日久しぶりに本棚を整理していると、ヘルギブンズの詩集の中に当時の温泉の半券が挟まっていた。
あれ以来彼女には会っていないけど、幸せになっていて欲しいと思う。




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