唐女伝説
 その頃道山は、宮中内道場の一室で道鏡と対面していた。道鏡は美男で骨格逞しく中肉中背の偉丈夫である。名門物部氏の血を引く彼は、僧門にありながら、二百年前に蘇我馬子と天下の覇権を争って敗死した、物部守屋の志を継ぐ者は、吾をおいて外なし、と放言する一代の梟雄である。胸中にはちきれんばかりの野望を秘めた親分肌の道鏡は、自分を慕って来訪した凡庸な嘗ての弟弟子の、驚倒する様な話題に所謂、
「匂い」
 を嗅ぎ取っていた。
 道鏡は決して道山の語言に疑問を挟まず、道山の述べる事を全部鵜呑みにした。藤原清河の手紙も熱心に熟読し、この度の一件の全容を理解した様子であった。
「大宰府には、藤原清河殿と昵懇の間柄である吉備真備殿が大宰大弐として赴任されている。吉備殿は二度も渡唐しておられ、楊貴妃様ともお知り合いや。恐らく吉備殿が日本で船を調達し、楊貴妃様の東上に尽力なさったんやろ」
 道鏡は比較的高めの声音でそう解釈を下した。
「それにしてもお主の弟御は偉いの。よくぞ平城京迄長門国から楊貴妃様をお連れしてくれた。お主もよく真っ先に道鏡にこの話をしてくれた。道鏡は今日より、そなた達兄弟の尊志を引き継いで、楊貴妃様の為に鋭意努力しよう。藤原清河殿、吉備真備殿、藤原仲麻呂殿に代わって謝礼いたす」
 道鏡は艶やかな坊主頭を深々と下げた。道山は恐縮すると共に、自分の選択は当を得ていた、と自負したのである。
 道鏡から楊貴妃宛の書状を預かった道山が、小助と楊貴妃の宿に現れたのは、翌日のことだった。道山は昂揚している様体で、その長たらしい巻手紙を、楊貴妃と小助に解説してくれた。
「道鏡殿はな、早速明日の午後にでも楊貴妃様に会いたいそうじゃ。藤原仲麻呂殿にも今日中に宮中で話をしておく、とのことや。どや、ええか?」
「儂は一向に構わんが、楊貴妃様は如何でありましょう」
 小助は丸で侍従の様だ。楊貴妃とすっかり息が合っている。
「私は、私も構いません。二人で会いに行く、と道鏡殿に返答してください。宜しく頼みます、と」
 楊貴妃の筆答に道山は拝礼で応え、道山の周旋によって、楊貴妃は九月十八日の夜宮中内道場の応接間で、道鏡と面通しすることとなったのである。
 
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