剣と日輪
「日学同」
 の早大版が本年二月創部の、
「早大国防部」
 であり、創設の中心的学生が、森田必勝(まさかつ)だった。
 必勝は三重県四日市市の出身で、二浪しているので、二十二歳ながら教育学部社会教育学科の二年生である。教育者の家に生まれたが、両親を幼年期に亡くし、五人兄弟の末っ子として育まれた。
「何じゃこりゃ」
 必勝は、
「本土最東端」
 という標識を目にするや、国防部用品のペンキスプレーで文字を白く覆い隠した。
「ノサップ岬と。これでええやろ」
 必勝は万人を魅了した幼子の様なスマイルで、そう大書すると、納沙布岬灯台の近くに標識を持ち運んだ。
「あんまり上手くないからな」
 かんらかんらと必勝が高笑いする。
 アイロンなどかけたことが無い木綿(もめん)のズボンに、長袖(ながそで)の薄地のセーター。必勝は分厚い唇の上にうっすらと口髭(くちひげ)を生やしている。右手には、国防部自前のハンドマイクがあり、左手でスピーカーを抱えていた。
「諸君!我々はソ連に侵略されている我国固有の領土、北方領土を目前にしている。あれを見給え」
 必勝はマイクを握る右腕で、沖合いの二島を指し示した。
「霞の彼方に貝殻島、水晶島、更には歯舞諸島、国後、択捉といった掛買(かけが)いの無い国土が、赤軍に略奪され、豊饒(ほうじょう)な海の幸は国民の手には入らない。ソ連は終戦のドサクサ紛れに火事場泥棒をし、戦後二十三年を経ても尚返還する意思の片鱗(へんりん)すらもみせないのである。こんな無法を放置できるか!」
「できんぞ!」
 斉藤という大柄な部員の快(かい)答(とう)に、国防部はヒートアップしていく。
「ソヴィエト侵略軍は千島樺太から出て行け!」
 という横断幕が風に靡(なび)く。
「斉藤さん。ではどうする?」
 必勝の問いに、斉藤は必勝が先程使用したペンキスプレーを取り出し、小道を駆け下りだした。皆ついて行く。細長い路地を抜けると、崖下(がけした)の岩礁(がんしょう)へ出た。
 内の最大級の屏風岩に、斉藤はスプレーで、
「千島を返せ」
 と塗り込めた。
< 177 / 444 >

この作品をシェア

pagetop