剣と日輪
 近年共産主義者、無政府主義者の実力行使は苛烈化しており十月八日に起こった、
「一○・八羽田闘争」
 では、中核派、社学同、解放派合同の三派全学連を中心とする二千五百名が二手に分かれて、佐藤首相の南ヴェトナム訪問を妨害した。羽田界隈にヘルメットと角材で武装集結し、機動隊が撃破され、警備車が放火されるという深刻な情況になっていた。
 暴逆の渦中で中核派の京大生山崎博昭が落命し、重軽傷者は六百人余、逮捕者は五十八名という惨事となった。マスコミは彼等共産主義・無政府主義者の肩を持ち、警官隊に投石する民衆まで現れた。
 十一月十二日には佐藤首相の訪米を邪魔しようと全学連三千人が再び暴れ、機動隊と激闘を繰広げた。反戦青年委員会や民主主義学生同盟のデモも同発し、東京は共産主義、無政府主義者の喚声とガス弾、ゲバルト棒の激流に翻弄(ほんろう)されたのだった。負傷者は百八十名。検挙者は三百三十三名に上っている。
 日本は共産主義、無政府主義者の暴風雨圏に突入していたのである。自衛隊は出動できず、警察の能力にも限界がある。このままではこの国は共産主義者、無政府主義者の暴力革命に屈してしまう可能性が大であった。
 藤原と山本はヒートアップしていく政情に鑑み、
「自衛隊の行動には様々な規制が付き纏(まと)い、いざという時威力を発揮できないではないか。制約の無い民間人からなる、警察以上の治安部隊が必要である」
 と憂悶(ゆうもん)していただけに、公威の、
「祖国防衛隊はなぜ必要か?」
 というパンフレットに先ず藤原が飛びつき、優秀な嘗ての部下山本一佐を公威に引き合わせてくれたのである。
 公威は懸河(けんが)の弁を振るった。
「左翼と称する共産主義、無政府主義者から祖国を守るには、もう警察の能力を超えています。かといって現憲法下では自衛隊は出動できない。何せ存在自体が憲法違反と言われているのですから」
 三輪は、
「情けない事だ」
 と嘆息した。
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