剣と日輪
 公威は解顔で川端を電話口で祝福し、その場で、
「長寿の芸術に花を 川端氏の受賞によせて」
 と題する公式祝辞を執筆。直ちに鎌倉へ向けて車中の人となった。相模路の夜景をぼんやりと見送りながら、
「もうこれで、十年は日本人がノーベル文学賞を取ることはあるまい」
 と悔しそうに独白した。
「次のノーベル賞は、恐らく何十年か先に、大江健三郎がとるだろう」
「何故です。先生にもまだまだチャンスはありますよ」
 伊達の励ましに、公威は、
「生きていればね」
 と投げやりに応えた。
「先生は未だ四十三でしょう?大丈夫ですよ」
 伊達は如何にも殿様らしい風貌で、公威の絶望感をレスキューしにかかっている。公威はそれには答えず、
「併し川端先生でよかったよ。若し僕が受賞していたら、日本人の年功序列という価値観が崩壊するとこだったよ」
 と弁じたてた。伊達は何時もの公威に戻った、と一安心したのだった。
 公威がノーベル賞を逸した訳は、選考委員会のいい加減さにある。日本人にノーベル文学賞を授ける運びになった折、川端と公威の二名の名が挙がった。最終決定を下すスウエーデンには、日本文学に通暁した文学者がいなかったのである。十一年前に二週間滞日の経験がある文学者が、唯一の日本通として、選考委員会に発言力を与えられたのであった。彼はドナルド・キーン訳、
「宴のあと」
 位しか公威の作品を知らなかった。この作品は戦前広田弘毅、第一次近衛文麿、平沼騏一郎、米内光政内閣で外相を務め、戦後は日本社会党から都知事選に出馬して落選した有田八郎をモデルに描いた政治小説である。
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