剣と日輪
(矢張り俺は、この人に一生付いて行くしかない)
 必勝はそう感服した。
 平岡家を辞し、阿佐ヶ谷の鉄格子のはめ込まれた下宿に帰宅した後も必勝の、
「感激」
 は薄れなかった。
(士は己を知るものの為に死す、と言う。俺は三島さんの傘下で、全力を尽くすべきではないのか)
 必勝は煎餅(せんべい)布団に包(くる)まりながら、
(日学同を去るべきときが、来た)
 と密かに決著(けっちゃく)したのだった。

 十一月十六日、九段会館で日学同代議員大会が催された。内心とは裏腹に、必勝は日本学生同盟中央執行委員に就任した。就任演説の中で必勝は、
「我々の力量は左翼の圧倒的な量と、その伝統の中からつちかわれてきた質に比べると、まだまだ劣っていると言わなければなりません」
 と慨嘆(がいたん)しながらも、
「ぼくたちの運動の基調は祖国への愛と誇りの回復による新しい日本ナショナリズムの運動なのですから、信義を重んじ、モラルを尊び、同志的結合を深めてゆく中から、次第に大きな勢力を形成してゆくことになるでしょう」 
 と未来への展望を語った。
(森田必勝 わが思想と行動より)

 必勝が仄(ほの)めかした、
「大きな勢力」
 とは何だったのだろうか。それは全民族主義派の糾合だったかもしれない。そして必勝の思い描いた大同団結の盟主は、日学同と違う路線を歩む、公威でなければならなかった筈である。
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