剣と日輪
会館ロビーで御待機下さることが最も安全であります。決して自衛隊内部へのお問合せなどなさらぬようお願いいたします。
 市ヶ谷会館三階には、何も知らぬ楯の会会員たちが、例会のため集まっております。この連中が警察か自衛隊の手によって移動を命ぜられるときが、変化の起った兆しであります。そのとき、腕章をつけられ、偶然居合わせたようにして、同時に駐屯所へお入りになれば、全貌を察知されると思います。市ヶ谷会館屋上から望見されたら、何か変化がつかめるかもしれません。しかし事件はどのみち、小事件にすぎません。あくまで小生らの個人プレイにすぎませんから、その点御承知置き下さい。
 同封の檄及び同志の写真は、警察の没収をおそれて、差上げるものですから、何卒うまく隠匿(いんとく)された上、自由に御発表下さい。檄は何卒ノー・カットで御発表いただきたく存じます。
 事件の経過は予定では二時間であります。しかし、いかなる蹉跌(さてつ)が起るかしれず、予断を許しません。傍目にはいかに狂気の沙汰と見えようとも、小生らとしては、純粋に憂国の情に出でたるものであることを、御理解いただきたく思います」
(年表作家読本三島由紀夫、三島由紀夫と楯の会事件より)

 五名を乗せたコロナはやがて学習院初等科手前に停車した。装備の最終点検の為である。公威は母校の校舎に目を向けながら、
「ここは俺の母校だ。娘も通っている。今授業の真最中だろうなあ」
 と感慨深げであった。
「寄りますか」
 必勝のジョークに車中は揺れた。
「がはは」
 笑いが公威に戻ったのである。リップクリームで唇を潤した公威は、
「行こう」
 とサインを下した。コロナは車道を滑る様にして走りぬき、午前十時五十八分に自衛隊市ヶ谷駐とん地東部方面総監部玄関に乗入れた。
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