剣と日輪
 ここにいる者には身に覚えがある。清水も田舎の広島に居た学生時代、
「小説家になりたい」
 と志望したところ父親が浮かぬ顔をして、猛反対したのを記憶している。
 公威は、
「父に何と言われようと、例え勘当されても、文学を止める事はできません」
 と宣言していたが、教師としての立場上、生徒の家庭を荒立たせるべきではない。
 四人で協議した末に、
「平岡君にペンネームを名乗らせてはどうか」
 という衆議に決した。四人は小田原、三島を経由して伊豆修善寺に来着した。途中三島近辺の車窓から望見(ぼうけん)した富士の山(さん)嶺(れい)の美景は、全員の心肝(しんかん)を洗浄してくれた。十七歳の中学生が創作した、
「花ざかりの森」
 の読後の心象(しんしょう)は、その霊峰富士の頂に冠する雪色とダブったのである。誰からとも無く、
「三島」
 という姓と、
「ゆきお」
 という名前が、巫女(みこ)に霊が降りてくるような森厳な雰囲気から、湧出て来たのである。
「三島ゆきお。これしかないね」
 蓮田が決を下すと、異論はなかった。 
「きっとこの少年は文学史上に、三島ゆきおという我々が創造した筆名を轟かすぞ。三島ゆきおは、戦慄すべき姓名となろう」
 蓮田は自分が名付親となった未知なる大器の誕生に、心奮わせている。他の三人もそう自負している。大東亜戦争勃発前夜の嵐の前の夏節に、
「ミシマユキオ」
 は産声を上げたのだった。
< 8 / 444 >

この作品をシェア

pagetop