水とコーヒー
#1
「思い出せる?」

「うーん、なんとなくは」

「誘導してあげるわよ。そうすれば簡単に思い出せるはずだから」

「…そういうもんですか?」

「人間は本質的に忘れることができないイキモノだからね。忘れたのは忘れたふりをしているだけなのよ。まぁそう信じなさい。貴方の生きてきた時間、それは全て貴方の脳にしっかりと刻まれているわ。貴方が望むと望まないに関わらず、ね」

「ふうん…」

そんな会話をしてから先輩は、じゃあゆっくりはじめましょうか、といって僕にまぶたを閉じさせた。

市内のファミレス、深夜0時前。一番奥まった4人がけの席で2人の男女がする会話にしては、若干奇妙ではある。

しかも1人は差し向かいに座った女性を前に目を閉じているのだから。


「最初に思い出すのはやっぱり天井の色ね。何色だった?」

「そりゃ白ですよ。なにしろ団地ですからね。タバコも当時は吸わなかったし、真っ白です」

「そう。じゃあ次は電気ね。どんな電灯だった?」

「えーと木枠で作られたやつで白い樹脂の覆いで…なんていうんでしょ丸い蛍光灯。サークル状の。あれですね」

「うんうん、なんとなくわかるわ。随分鮮明に覚えてるじゃない。もう少し詳しく思い出せる?」

「んーと…ええ。思い出せますよ。なんていうんだろう、常夜灯?赤いオレンジのヤツ。あれが一個で、サークル状の蛍光灯は二つだったと思います。あとはあれ、なんでしょうねえ。十角形くらいのやつが、スイッチをはさんで常夜灯の向かいにあって」

「スイッチはヒモを引くタイプ?」

「そうそう。今あんまり見かけませんけどね…。ヒモ、ヒモの先端のアレ。そうあれが蓄光だったんですよね。電気消してもしばらくぼやっとしてるの。あーあれ長くしたんですよ、横になってても電気つけたり消したりできるように」

「そのころから横着だったのね(笑)。なにか他に思い出せることは?」

「余計なお世話ですよ。他に…他に、あーそれで、そうだ。いつだったかなあ、えーと小学校のなんかの旅行ですね。土産にかったキーホルダーについてた鈴、小さいヤツ。あれがとれちゃったんで、それをスイッチのヒモにつけたんですよね」
< 1 / 45 >

この作品をシェア

pagetop