アリスズc
∞
 桃は、父と初めて二人きりになった。

 夫人が、応接室を彼らのために貸してくれたのだ。

 エインも気を使ってか、ここには来なかったようで。

 二人きりというのは、とても恥ずかしい。

 父親だと分かっていても、これまで親子としての関係を築いてこなかった相手なのだ。

 知っているのは、手紙だけ。

 ああ、そうか。

 桃は、母に宛てられた手紙を思い出した。

「私が生まれた時…」

 勿論、父が知ったのは生まれた直後ではない。

 桃が生まれ、母の身体が落ち着いてから、そのことを手紙で知ったはずだ。

「私と母の無事を、喜んで下さいましたね」

 桃が、母の肖像画に視線を向けると、父も同じように母を見る。

「梅は…とても身体が弱かった。だが、決めたことは絶対にあきらめなかった」

 その瞳と声には、恋慕があった。

 伯母や伯父の夫婦の間にある、信頼の上の発酵した愛情とは違い、父と母は長く一緒にはいられなかったのだ。

 二人は、夫婦というよりも、まだ恋人の線の上にいるように見えた。

 聞いている桃の方が、少し気恥ずかしくなる。

「都に行く時もそうだった…お前を産む時もそうだった」

 都へ。

 父と母が一緒にいられたのは、その都の間だけ。

 桃は、その時の子供なのだ。

「は、母は!」

 桃は、そんな切ない父を見ているのが、少し辛くなって少し大きな声を出してしまった。

「母は…私の知る限り、誰ともお付き合いしたりしてません! 国や私のために、一生懸命頑張ってました」

 いまもまだ。

 恋は、続いているのだ。

 父が、結婚せずに養子を取ったことを、おそらく母は知らない。

 母もまた、桃に新しい父親を用意しようなんてことは、考えていなかったに違いない。

 二人の間にあるのは、距離と階級という壁。

 桃は、それを取り払いたいと思った。

 まだ、その道が残されているのではないかと思ったのだ。

「ああ見えて梅は…」

 ふっと、父が微笑んだ。

「梅は…恋愛音痴なのだよ」

 少しだけ嬉しそうに──そして、桃のびっくりすることを言ったのだった。
< 265 / 580 >

この作品をシェア

pagetop