アリスズc
∞
 女性は、ロジアルバルハースフィムと名乗った。

 名の全てを名乗らなかったのは、貴族ではないからか。

「ロジアでよろしくてよ。長ったらしい名前で呼ばれるのは、気づまりが致しますの」

 再び開いた扇で、はふとため息をつく。

 桃は、微妙な気分で馬車に同乗していた。

 独特の気だるい雰囲気に、いまひとつ慣れないのだ。

 一度後部の幌から顔を出し、ソーの様子を確認すると、ちゃんとついてきている。

「桃と申します。伯母を訪ねてこの町に来ました」

 名乗った直後。

 扇の向こうの目が、鋭くこちらを見た。

「モモ…ああ、そう」

 再び、パチンと扇が閉じられ、その先を自分に向けてくる。

「ああ、そうですのね…あなたの伯母の名を、おそらく私は知っていますわよ…キクでしょう?」

 自信に満ち溢れた、真っ黒の瞳。

 ふふふと漏れ出る、甘い息。

 伯母さま、相変わらず目立ってますね。

 桃は、心の中でそう伯母に呟いた。

 静かな人ではあるが、おとなしい人ではない。

 そういう意味では、本当に探す手間は省けた。

「伯母を御存知なのですね…どこにいるのでしょうか?」

 とりあえず再会は近そうだと、桃がほっとしかけた時。

「あの尾長鷲を、私に譲って下さるのなら…お答えしますわ」

 踊る、扇子の先。

 は?

 桃は、思わず彼女の目を見た。

 人を言葉で嬲る、魔性の色に感じた。

 一瞬の間。

「分かりました…」

 桃は答えた。

 だが、それは。

「分かりました…荷馬車も寝床も結構です。ここで下ろさせていただきます」

 ソーを、ロジアに譲り渡すという意味とは真逆のものだった。

 身軽に、動き続ける荷馬車の後部から降りようとする桃の腕は。

 むんずと掴まれた。

「をほほ…本当にキクと同じ血が流れているわね。まるで…野生動物のよう」

 後ろから囁かれる声に、桃は──ぞぶっと悪寒を走らせてしまったのだった。
< 330 / 580 >

この作品をシェア

pagetop