アリスズc
@
 武の賢者は。

 妻の帰還を待っていた。

 ヤイクの回した荷馬車が賢者宅に入った時、先触れを出してくれていたのか、彼は玄関の前に立っていた。

 エンチェルクには、決して手に入らない、鍛え抜かれた肉体を持つ男。

 キクが、彼の前に立ち。

「遅くなった…」

 見上げながら、そう夫に言葉をかける。

 どんな表情をしているのか、エンチェルクには見えなかった。

「ああ…無事で何よりだ」

 目を細める賢者は、剛の剣を振るうものには思えない穏やかさがある。

「ロジア、赤ん坊を見せてやってくれ」

 キクが振り返って、彼女を呼ぶ。

 乳の時以外は、本当にずっと彼女が抱いていた。

 近づく彼女の容姿など、賢者の目には入っていない。

 見つめているのは、その腕の中。

「ジロウですわ」

 ロジアが、眠る赤子を見せる。

「ああ、いや…それは」

 キクが、少し困ったように説明しようとする。

 彼女は、仮の名としてつけたと言っていたが、いつの間にか周囲に定着してしまっていた。

「ジロウを、抱いてもいいか?」

 そしてまた、彼も異論をはさまない。

「首はすわってるから大丈夫だ」

 自分の夫のおおらかさに、キクは苦笑で答える。

 ロジアは、ジロウに固執はしているが、キクが本当の母であることをないがしろにはしなかった。

 日々、彼女が荷馬車の中で、小さな赤子に乳をやる姿を見ていたせいか。

 だから。

 父である賢者に、ちゃんとジロウを差し出した。

 大きな大きな手が。

 小さな小さな身体を抱く。

「よく来たな、ジロウ」

 呼びかける低い声。

 この子の名は──ジロウとなった。
< 424 / 580 >

この作品をシェア

pagetop