アリスズc
∠
 死体は、見つからなかった。

 林の奥は、深い谷になっていて、それ以上の捜索は出来なかったのだ。

 死んだ、と思いたいな。

 それは、テルの正直な気持ちだった。

 女は、テルを憎んでいた。

 彼を、イデアメリトスと認めていなかった。

 それは、長い間純血を保ち続けていた一族ゆえの、歪んだ感情だったのかもしれない。

 同時に、ひっかかってもいたのだ。

『おのれ、半分め! 半分め! 泥棒女の息子め!』

 激痛のままわめきちらした、女の言葉。

 母のことを、『泥棒女』と叫んだ。

 ということは。

 母の登場によって、父を奪われたということか。

 父の妃候補だったのかもしれない。

 次の町に着き次第、飛脚を走らせなければ。

 テルは、ため息をついた。

 幸い。

 ビッテのわき腹の火傷は、大したことではなく。

 テルが母から持たされた薬で、応急処置は出来たし、旅も問題なく続けられそうだった。

「太陽妃の薬ですか」

 ヤイクは、興味深そうに覗きこんでくる。

「太陽妃は、農業の本だけでなく、植物や薬の本もお書きになった方がよろしいと思いますが」

 その言葉に、テルは笑ってしまった。

 太陽妃を捕まえて、本を書けなどと勧めるのは、この世広しと言えども、ヤイクくらいだろう。

 母の同胞を除いては。

「あいにく、母の身はひとつしかなくてな…そして、母はとてもゆっくりな人だ」

 テルの苦笑まじりの答えに、ヤイクはニヤっと笑う。

「何も、全てを太陽妃がなさる必要はないのです。妃の知識を吸収できる側仕えを、置けばよいではありませんか」

 ああ。

 そうだな。

 ヤイクも──そうだったのだ。
< 89 / 580 >

この作品をシェア

pagetop