力(ちから)

冒険

俺の家の人間は、一生に一度だけ時を止める事が出来るという、何ともロマンチックな力を持っている。
じいちゃんは、ばあちゃんへのプロポーズの時に。
父さんは、掛け麻雀で負けそうになった時に力を使ったそうだ。「どうせならサマージャンボでも当てればよかったのに」と母に言われた時には、遅かった。
俺は家に帰ると、台所で包丁を持ったまま停止している母親の目の前で手を振って見た。包丁をそっと拝借して、サンドイッチを作る。それから魔法瓶にホットコーヒーを入れた。
自転車の前カゴにサンドイッチとコーヒーを積んで、走り出す。
車が止まったままの県道を抜け、高速道路の入口を登る。なかなかキツい坂だ。自転車を立ちこぎして、やっと登りきった。
風も止まったままの8月の夕暮れ。風が俺に吹くのではなく、俺が動いて空気を切り風を作る。
「おもしれーぇ!」

「気もちいーっ!」

大声で叫びながら、もっともっと風を感じようと「とあーっ」と自転車をこぐ。
超ー息切れ
空気うめー(高速道路なのに大丈夫か!?)
まあいいか。
腹減った。
「うっきー」
今度は高速道路の出口を下りていく。こがなくても平気。楽チン、すいーっ。
今なら入り口からも下りられるのに出口から下りるあたり俺律儀。
橋まで来た。
手すりに凭れて暫く川を見た。
「きれいだな。」
恋とか憧れとか切なさの混じる幸せな気持ち。
夕暮れの川、空の色、夏の終わりの焦り。
俺がこの世で最も愛しているものは、そんな夕暮れの中を歩く事かも知れない。
もしもそうならば、これからの人生は、淋しくキラキラした、これしか仕様のないという、俺だけのものになるような気がした。
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