―you―



「そのセリフ」
 俺は寺田さんの顎を見た。目を見るのが辛いときはこうすれば良い。
 ポツポツと髭が伸びている。きっと触ったら痛い。
「モーリスがレアに言うんだ」

 少年モーリスは兄の恋人レアに認めて欲しくて、初めて「俺」を使った。兄のジャックは戦争が終わって二月が過ぎても帰っていなかった。
「俺がレアを守るから」
 その時、レアの体が宙に浮く。モーリスはとっさのことでおろおろして何もできない。
「何が守るだ」
 その声は。
「ジャック!」「兄さん…」
 ジャックはレアをそっと下ろした。
「何よ…びっくりしたじゃない…」
 レアは泣きながら、ジャックの胸に倒れる。
「悪いな」「本当よ…」
 モーリスは静かにその場を離れた。

「もしジャックが現れなかったら、レアはどうしたんだろう…」
「優、俺はレアに言ってるんじない」
 刺すように真っ直ぐな寺田さんの目。
「髭…」
 何故か寺田の顎に手が伸びた。やっぱり、ちくちくして痛い。
「千尋さんは…いつも綺麗な顎だった」
 そっと笑いかけるあの笑顔が蘇る。小出しの冗談やすぐバレる嘘。オールドファッションとミルクティーとコーヒー。
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