土曜日の憂鬱な花嫁

タクは、うちの楽器工房にチェロを買いに来た、「お客さん」だった。
お兄ちゃんと同い年ってこともあり、よく店に顔を出すようになったタクは、「お兄ちゃんの友達」になった。
チェロはすごく上手だし、穏やかでいい人だと思ってた、けど。
タクと結婚することになるなんて、最初は・・・


隣の新郎の控え室から、「ドシーン!」と物音が響いた。

「・・・ちょっと、様子見てきますね」
百合の髪をとかしていたスタイリストが隣をのぞきに行き、すぐに戻ってきた。

「ご主人様が、イスから転げ落ちてらっしゃいました」


・・・思いもよらなかったのよね。
タクと結婚するなんて。

「すみません、お騒がせして」
髪をホットカーラーで巻かれながら、百合は肩をすくめた。

・・・ウェルカムボードの角度、あれで良かったかな。
別の入り口から来る人もいるかもしれないから、もっと斜めにしたほうがいいかな。

自由に歩き回れなくなると、色々な些細なことが気になり始める。
大好きな人と一緒になれる、人生最高の日だから。後悔の残らない、最高の式にしたかった。

隣の部屋から、チェロの音色が聞こえてくる。
タク・・・こんなときまでのんきにチェロの練習なんて、あなたどんだけ暇なの・・・

鏡越しに百合の気持ちを察したスタイリストが、
「ご主人様のチェロ、癒されますねぇ。緊張がほぐれて、いいですね?」
と誉めてくれる。
さすがは式場の職員、どんなことでも前向きな発言で返す能力は、プロ技だ。

新郎・卓也は、チェリスト。
彼のチェロを聞く人たちは、皆「彼は天才だ」と評した。
百合もそう思っている。
ただし彼は、ある一つの分野に才能が集中してしまったあまり、基本的な生活能力に欠けている天才だった。(ちなみにこの類の天才は大抵、死後に才能が認められることが多い。)

えぇ、分かっていますよ。
それを承知で結婚・・・

「えぇー!お前、なんて曲選んでんだよ!?」

また、隣の部屋が騒がしくなった。



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