社会の枠
第2章
翌日、約束の時間より少し早く家を出た。昨日から降り続いている雨は弱まるどころか激しさを増している。アパートの階段を足を滑らさない様に慎重に降りる。すると1階の廊下に立花が震えながら立っていた。『おはようございます。好みがわからなくて…』と缶コーヒーと紅茶を両方差し出した。私は礼も言わずにコーヒーを取り、スタスタと歩きだす。私の住むアパートは新大久保駅から10分ほど馬場寄りにいった住宅地にある。住む場所はどこでもよかったのだが、会社が馬場にあるのと比較的家賃が安かったからという理由でここに住んで9年になる。雨の中を20分歩き、会社のある雑居ビルに到着した。古い5階建ての3階から5階までを借りている。今時エレベーターもない建物の階段を4階まで上がると鍵を開けて中に入り、上着についた雨粒を払い落とした。自分のデスクに座り、朝刊に目を通そうと思ったが、入口のポストから取り出してくるのを忘れた。舌打ちをし、取りに戻ろうと立ち上がると『こちらですよね』と新聞を渡してくる。気がきくとはいえ、まだ新入りのクセに勝手にポストを開けるのは非常識だと思う。そんな私の気持ちを見透かしたように『昨日、高石さんから聞いたんです。仁科さんが朝一番に会社に来る時は自分で新聞を取るはずだって』と控え目に話す。私は無性に腹がたち『いいか!俺にかまうな!高石から色々聞いたんなら俺が大の女嫌いなのも聞いているだろ?残念ながらそれも事実で、正直昨日から仕事になりゃしないんだ。だから編集長に言ってコンビを解消してほしいと言うんだ』立花は下を向いたまま肩を震わせている。定石通りならば、この後は涙をこぼして立ち去るだろう。私が再び新聞を読もうとすると『確かに仁科さんの女嫌いは聞いてます。でも仕事にそんな理由は通用しないと思います。私にだって仕事をしなければならない理由があります。だからこのまま辞める訳にはいきません。もし私に甘えや手抜きが見えた時は辞めろと言って下さい。それに私が納得できればいつでも辞めます』と、気丈に言い返してきた。私の心の底では暗い陰湿な感情がこみあげてきて『わかった。後で泣き事言うんじゃねぇぞ』と言ってから最近できた猫の額ほどの喫煙所に向かった。荒木組の事務所は新宿の区役所通りから少し入ったビルの5階にある。約束の時間は11時だが、30分前に到着した。
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