リメンバー
『勇次!』

恵美子はソファーから立ち上がり、慌ててドアを開けると、自分と生活している時より遥かに澄んだ眼差しをした勇次が立っていた。
隣には、腰まである黒い髪を垂らした、グレーのドレスを着た女が立っている。
まさか、こいつが。

恵美子は唇を噛んだ。

『ごめん、恵美子にはちゃんと話そうと思って、僕達で考えていたんだ。』

ちゃんと?

話す?

僕達?

ぐるぐる、ぐるぐると聞き慣れない、いや聞きたくない勇次から放たれた言葉が頭の中で渦を巻き、暴れる。

『…どういうことよ。』

『いや、実は…』

『あたしはあなたの妻よ、結婚してあげて、一緒にいてあげているのは誰だと思ってんのよ!』

恵美子はそう怒鳴りつけると、側にあったシクラメンの鉢を掴み、勇次に向かって思い切り投げつけた。

だが、狙いは外れてそれは壁に当たり、ガシャンと派手な音をたてて砕け散ると、土と共に玄関を汚した。
『どうして、どうしてあたしが勇次と、こんな女が決めた事に従わなくちゃならないのよ!社宅なんて入りたくなかった、ここへ来てからあたしはずっと我慢させられて…』

『限界なんだよ!お前の、その《結婚してやった》ていう言い方に、俺も彼女も耐えられなかったんだよ!もう、もう全部うんざりなんだよ!』

ガン、と勇次がドアを蹴り恵美子に向かって怒りをあらわにした。

恵美子にとっては、初めて見る表情であった。

『…そうだよ。』

隣に立っていたホステスが、か細い声で言った。

勇次はごめん、ごめんと彼女を抱き寄せて優しく髪を撫でている。

『…すまない、僕がこんなに甘やかしたばっかりに、君を巻き込んで…ああ、怖かっただろう、悲しかっただろう、辛かっただろう、悪いのは、悪いのは全部…あの女だよ。』

ギリギリ、と歯ぎしりをして勇次は恵美子を睨み付け、ホステスを離そうとしなかった。

女は。

わかってくれたの、と勇次に寄り掛かり暗く悲しげな、陰鬱な眼を恵美子に向けた。

彼女には、見覚えのある目元だった。

忘れたい過去へ戻す目を、女は薄笑いをしながらその眼差しを恵美子と勇次へ交互に送ると、

『恵美子ちゃん、彩弓のこと忘れてたんだぁ…』

と、赤い口を開いてニパァと笑った。
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