コーヒー溺路線
 

彩子がまだ情報管理部にいた頃、俊平は入社したての彩子に恋をしたのだ。
 


 
「コーヒーはいかがですか」
 


 
初めて自分だけに向けられた彩子の声はこれだった。俊平はあの時の彩子の恥ずかしそうな笑顔すら覚えている。
 

ミルクも砂糖もスプーン一杯でよろしくお願いしますと返したところ、その数分後彩子が盆に乗せて持ってきたコーヒーは驚嘆の溜め息が出る程旨いものだった。
 

それからというものの、こちらの目も見ずにインスタントの薄いコーヒーを渡してくる、従来の部署内の雰囲気は一転したのだ。
例えばコーヒーをおかわりする社員が増えた。
 

彩子のコーヒーは好評だった。
 


 
「実は結婚することになったんです」
 


 
そう言って彩子は嬉しそうに靖彦と並んだ。
俊平は同期で入社した靖彦と彩子が仲睦まじくしていることは知っていたが、まさか結婚をするとは予想もできず頭の中が真っ白になるようだった。
 

忙しいという理由で挙式はしないらしく、しかし彩子の名字は確実に富田から林になったのだ。
 

やりきれない想いをどこにもぶつけられず、俊平は毎晩頭を抱えた。
 


 
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