有料散歩



「それ…、」


何かと尋ねようとして、夏はぐっと言葉を飲んだ。
まだ何も聞かないで令は発令したままなのだ。

春樹は以外と頑なで意地っ張り。そんなこと、とうに気づいている夏だ。
まだ聞くなと言うならば、決して話してはくれないだろう。


「もう風呂沸いてるから。ちゃっちゃと入っちゃって。」

「うん…。あのさ、夏くん…、」

のろのろと立ち上がりながら春樹が声を出す。

「…牡丹って、どんな意味があるんだっけ…?」

「幸福、だろ?」

「…幸福。…そうだったね。」



************



キラリと日の光に煌めいた切っ先が、生き物のように呼吸しているかに見えた。

それは錯覚で、本当は激昂し肩を上下させる男のせいだ。
緊張が走り抜ける。

芳郎はとっさに、ゆきを背後に押しやった。


その仕草がさらに男の激情を刺激する。


美しく清廉なる墓。
幸せの結晶のような、家族。

幸福の、花。



自分には得られなかったもの。
それを目の前に並べられている。
男には目を逸らすか、破壊するしか道はないように思えた。


そして今の気持ちの向かう道は、間違いなく破壊、だ。


じっとりと汗をかきはじめた右手の小刀を強く握り直す。


切っ先が、芳郎を捉えた。



「…あの人、おばあちゃんに似てるね?」




緊迫した雰囲気を崩したのは、幼いゆきの一言。


涼しげな、鈴のような声。

まるで明花の笑い声のような。



************



「…春、こぼしてるよ?」


ぼんやりとしたまま箸を動かしていた春樹の隣で、様子を伺っていたゆきだったが、たまらず声をかけた。

さっきからぼろぼろと食卓を汚していた春樹。

夏は素知らぬ顔で綺麗に食べている。


「え…?…あ、うわっ?!」


凄まじい手元を目視して、ようやく春樹が我に返る。


「ほれ、ふきん。」


夏が差し出したふきんでテーブルを拭く。


せっかくお風呂に入ったのに、口の周りもべとべとだ。


「はい、ティッシュ。」


決して箸を置かずに、夏が箱ごと差し出す。


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